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しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

成長、未だ完了せず

昨日に続いて、朝日新聞の一面コラム「折々のことば」を取り上げます。

 

今日2日の「折々のことば」は、詩人・伊藤比呂美さんの

「親の介護とは、親を送るということは、自分の成長の完了じゃないか」

という言葉で、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

『独居する老父の介護にカリフォルニアから熊本に足しげく通う。

 米国から入れた電話に返される言葉はまるで「心の拷問」のよう。

 神経と時間のやりくりは理不尽な試練のよう。

 だが、落ち込みと虚脱と思い直しのはざまで、

 父娘が時空を超えて出会う瞬間がある。

 もはや糊代(のりしろ)さえ残されていない関係の中に、

 人生の深いやるせなさが滲(にじ)む。詩人の介護日記「父の生きる」から。』

 

鷲田さんの解説で紹介されている伊藤さんの著書を、

私は読んだことがありませんが、

その言葉に込められた思いは私にも分かるような気がして、

胸にジーンと響くものがありました。

 

同居している私の父は、最近は足腰もすっかり弱ってきて、

あれほど楽しみに通っていた碁会所に、今では行くこともなくなりました。

そのため、一日のほとんどを自分の部屋で過ごしています。

テレビを見ているか、昼寝をしているか、食事かおやつを食べているか、

行動の選択肢が限られてきました。

 

動作が鈍くなり、ぼけて年老いた父を見て私は、

あまりの生活リズムの不一致に、また、思考回路の不一致に、

時にイライラし、また時には叱ったりすることもあります。

…が、しかし、それも最近は少なくなってきたと自分では思っています。

諦めか、悟りか、気力の喪失か、自分でもよく分かりませんが……。

 

平成8年7月に母が亡くなってから今年で20年。

父はそのうち8年を独りで生活し、12年を私たち夫婦と同居しています。

あと何年、この生活が続くか分かりませんが、

息子である私も、次第に気力・体力の衰えが目立つようになりました。

 

親を送るか、親に送られるか、それさえも今は分かりませんが、

私と同い年の伊藤さんの「ことば」をお借りすれば、

息子である私の「成長」は、未だ「完了」していないことになります……。