私がYahooで購読している朝日新聞デジタル版では、
元旦から『我々はどこから来て、どこへ向かうのか』という連載が始まっています。
昨日3日は「成長信仰」というテーマでしたが、
お二人の名誉教授の次のようなお話しが印象に残りました。
まず、お一人目は、社会思想家の佐伯啓思・京都大名誉教授です。
佐伯教授によると、国家が成長を必要としたのは
もともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだったとして、
『それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという問いに、
経済理論には実は答がない』と述べられるとともに、
1970年代初頭に、世界の科学者や経済学者が集まる民間組織ローマクラブの
「人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、
資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる」という問題提起に対しては、
『ローマクラブが指摘した問題の重要性は今も変わらない。
これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは
競争や格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会に
してしまうのではないか』と述べられています。
次に、お二人目は、経済史の泰斗である猪木武徳・大阪大学名誉教授です。
猪木教授は、成長を謳歌したこの200年間を
『経済史のなかではむしろ例外的な時期』と述べられたうえで、
無理やり成長率を引き上げようとする最近の政策に異を唱えるとともに、
成長そのものの役割が変質してきたとして、
『かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。
最近は国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり求める風潮が
広がり、各国の国内格差が広がってしまった』と述べられています。
う~む……、困ったな。
私にとっては、お二人ともその著書を通じて尊敬する先生なのだけど、
上述の経済成長に関するその思想には、若干の違和感があります。
この日記でずっと書き続けていますが、
昭和30年生まれの私は、高度経済成長の恩恵を受けた世代です。
ですから、今はゼロ成長が続いていても、
「いつかは必ず経済の好循環が訪れる」、そう信じていますし、
「なぜ成長が必要か」と問われれば、それは「富を創造し分配するため」と答えます。
これって、時代遅れの間違った考え方なのかな……?
でも、経済のゼロ成長を容認してしまうと、
個人の成長志向まで止まってしまいそうです。