昨日のこの日記のタイトルを「成長は限界なのか?」として、
『経済のゼロ成長を容認してしまうと、
個人の成長まで止まってしまいそうです』と書いたところ、
今日6日の朝日新聞一面コラム・「折々のことば」は、作家・城山三郎さんの
『人生は挑まなければ、応えてくれない。
うつろに叩(たた)けば、うつろにしか応えない。』という言葉で、
鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『人生、「不完全燃焼」が延々と続くこともあれば、
「長いリハーサル」ののち一気に燃え尽きることもある。
いずれにせよ、挑まなければ限界にも突き当たらない。
おのれの限界に歯ぎしりすることもない。
悔しい思いでそこを乗り越えると、
きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる。
その時、苦労してたどった上り坂が平坦(へいたん)に見えてくる。
作家の「人生余熱あり」から。』
う~む……、実にタイミングが良いコラムです。
経済のゼロ成長が、「人生の不完全燃焼が延々に続いている状態」だとすれば、
「経済成長に挑まなければ限界にも突き当たらない」ように思いますし、
技術革新やイノベーションで限界を乗り越えると、
「きっとこれまでより見晴らしのよい場所に立てる」ような気がします。
そういえば、昨年末に、黒田日銀総裁が、
日本経済団体連合会審議委員会の講演会において、
次のように話されていたことを思い出しました。
『私は、シュンペーターが言うように、
企業の皆様が、さまざまなレベルにおいて創造力を発揮され、
主体的に需要の掘り起こしを行い、
消費者の潜在的なニーズを、企業の側から捉えていくことが、
日本経済の成長にとってきわめて重要であると思います。』
私は、経済理論の知識はありませんが、
心情的には黒田総裁のお考えに親近感を覚えます。
昨日の連載には「常温を楽しむ社会」という言葉もありましたが、
人間の人生に例えれば、私のように「ぬるま湯」に浸った生き方をすると、
「ろくな」人間にはなりません。(笑)
人生も経済成長も、なんだか似ているような気がしてきました。