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しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

読解力の大切さを学ぶ

論考・論評・コラム

今日12日の愛媛新聞「現論」欄に、佐伯啓思・京大名誉教授が、

『読解力低下~文化の基盤 影響深刻』というタイトルの論評を寄稿されていました。

 

『日本の若者の読解力の低下がいわれている。

 おそらくはITの急速な進展も左右しているのであろう。

 そしてそれは、目に見えないレベルで、

 われわれの社会に深刻な影響を及ぼしているのではなかろうか。』

佐伯教授は論評の冒頭、このように述べられたうえで、

説得力のある持論を展開されていました。

その内容がとても示唆に富むものでしたので、後で読み返せるよう、

以下、少々長くなりますが、この日記に書き残しておきます。

 

『情報化の進展それ自体に是も否もないにしても、

 結果として、多少なりとも複雑で含みをもった長文の読み書きが

 忌避されるようになるとすれば、そこには大いに問題があろう。

 読解力とは、言葉を通して他人のこころを理解し解釈する力だからである。

 だからまた、それは表現力ともかかわるし、

 さらにいえば、社会的なコミュニケーションの力ともかかわる。

 なぜなら表現力とは、どのように言えば他人が理解してくれるか、

 という解釈を前提にするからであり、

 社会性の力は、他人の言いたいことを理解し

 おのれの言いたいことを伝える力そのものだからだ。

 読解力が大事なのは、「国語」の点数をあげるからではなく、

 それが人間の社会性の基盤であり、文化の基盤だからである。

 ということは、読解力の低下は、社会性の能力、

 つまりコミュニケーション能力の低下を意味するだろうし、

 さらにいえば、文化の質の変容を示しているだろう。

 まだ今日のような情報過剰時代に入る前ののびやかな時代に育ったものは、

 新聞や雑誌やかなり分厚い書物をよみ、そこから何かをえようとした。

 そうするほかになかった。何かをえようとすることは、解釈することであり、

 解釈とは、自己と他者との対話であり、

 対話によって他人のこころのうちに入り込むことである。

 こうしたことが、ごく自然に社会性を育てたであろう。

 それを可能にしたものは、言葉であり、国語であった。』

 

言葉を通じて他者を理解することは、

 「ロゴスをもつ動物」であり「社会をつくる動物」である人間の根本である。

 すべての文化は言葉やコミュニケーションとともにあり、

 実は科学や数学の能力さえも、この意味での文化の力や言語能力に支えられている。

 さらにいえば、政治の質も、政治家の質も、読解力や表現力に基礎をおいている。

 政治指導者がツイッターであまりに乱暴な「直言」をまくしたて、

 何万人ものフォロワーが喝采したり、過剰に反発を繰り返す政治は、

 やがて自壊の道をたどるであろう。

 ツイッターでつぶやく前に、まずは大切な一冊の本を見つけ、

 一人の大事な人との会話を楽しみ(時には苦しみ)、

 そこからおのれを見いだすというしごく当然の習慣を身につける方が、

 はるかに「生」を豊かにすることは間違いないであろう。』

 

う~む、なるほど…。鋭い切れ味に感服します…。

以前、この日記に書いたように、

経済成長に関する佐伯教授のお考えには、私は若干の違和感があるけれど、

今回の「言葉」や「国語」に関するお考えには、

ほとんど「崇拝」に近い感情を持ちました。

 

佐伯教授の論評を、トランプ次期米国大統領にも是非読んでもらいたいです。