しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

名言を抜き出す

日経新聞では、カルロス・ゴーン日産自動車社長の

私の履歴書」の連載が続いています。

今日13日はその12回目で、そろそろ「名言」を抜き出す頃となりました。

以下は、その「名言」です。

 

『最初の配属先は大型タイヤを製造するル・ピュイ工場だった。

 私は生産性の向上に関心が強く、毎日何度も現場に行った。

 意思疎通が重要だとの考え方はその頃に身につけたものだ。

 大学ではもちろん、教えてくれなかった。』

 

文化の融合とはつまり、互いを尊重し合うことである。

 ユニロイヤル(注:ミシュランの買収相手)は内部に優秀な人を多く抱えており、

 それを最大限活用した。販売面ではマルチブランド戦略を採った。

 ユニロイヤルの製品は車の購入後に買われる「アフター市場」に強く、

 そこに軸足を置くことでミシュランとの共存を図った。』

 

『97年3月に発表したのが「200億フラン削減計画」だった。

 社内に衝撃が走った。「ゼロが1つ多くないか」と他の幹部から言われた。

 各部門でも「外から来た奴にひっかき回される」といった会話がなされた。

 私は冷静に臨んだ。もともともめ事を好まない性格だ。

 基本線は譲らないが、感情的な議論は避け、

 不安と誤解をじっくり解きほぐすやり方を貫いた。

 シュバイツァー会長(注:ルノー会長)も支えてくれ、

 大きな対立を招くことは結局なかった。

 だが、失敗したらそっぽを向かれる、と緊張感は持っていた。

 アウトサイダーの私が本当の意味で信頼を得るには結果を出すしかなかったのだ。』

 

『色々な国で会社のリーダーとして働いてきた経験から

 本当に会社を変えられるのは、中にいる人々だとわかっていた。

 変えるのはあくまで日産の人々だった。だから、細心の注意も払った。

 ルノーの人間にはフランス人だけで固まって行動しないようにと

 指示を与えたこともある。非常に難しい仕事だっただろう。

 だが、開かれた精神の持ち主だけを選んだおかげで、

 フランス人らはすぐに日産になじみ、歓迎された。』

 

『CFT(クロスファンクショナルチーム)のメンバーは当初、

 「3年間で5%のコストを削減」と言っていた。

 だが、それでは抜本的な改善にはならない。私はもっと大胆に考えるよう伝えた。

 すると一連の会議の最後には2年間で20%と、積極的で、

 しかも裏づけのある数字を導き出した。私は頭の中に自分だけの数字を持っていた。

 だが、それを明かすことは一切なかった。日産に必要なことは日産にある。

 答えは社員の中にあるはずであり、

 それを自力で見つけて仕事をしなければ再生の難事業は不可能だった。』

 

う~む……。連載がほぼ半分終わった段階だというのに、

ゴーン社長のこのグローバルで波瀾万丈の人生。

グローバル企業のトップの「人生」や「仕事力」とはこういうものなのですね…。

 

抜き出した上述の名言の中でも、特に印象に残っているのが、

「本当に会社を変えられるのは、中にいる人々」、

「日産に必要なことは日産にある」という言葉です。

これを個人に置き換えれば、「本当に自分を変えられるのは自分」、

「答は自分の中にある」ということなのでしょうか…?