今日3日のの朝日新聞一面コラム・「折々のことば」は、
『テクストの外などというものは存在しない』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『いかなる歴史的事実も語られたもの、つまりはテクストとしてしかありえない。
事実はつねに解釈され、編集されて伝えられる。
とすれば私たちが報道にふれるとき、なぜこの出来事が報じられ、
あの出来事はスルーされたのかも注視しなければ。
スルーされた事実もまた別のテクストから知るほかないと肝に銘じつつ。
フランスの哲学者の「グラマトロジーについて」から。』
う~む、なるほど…。
スルーされた出来事を注視しなければならないのは、とても大切なことだと思います。
ただ、鷲田さんの解説を読んで考えたのは、
では、それを知るための「別のテクスト」を、
どうしたら私たちは見つけることができるか、ということです。
それはたとえば、インターネットかな?
ただ、最近は、「偽ニュース」も多いことだし……。
そこで、ひょっとしたら、
「グラマトロジー」という言葉にヒントがあるかもしれないと思い、
その意味をネットで調べてみると、次のような解説を見つけました。
『グラマトロジーとは本来、文字とか綴り方について研究する学問です。
しかしデリダは音声の代補ではなく、
文字(エクリチュール)こそ知の根源であることを証明しようとしました。
……以下、難しいので略します。……』
「文字こそ知の根源」……? それってなに……??
これ以上読んでも、やっぱり私には理解が困難なようです。
役所言葉ではありますが、この件については、
「今後の検討課題」ということにしておきます。(苦笑)
ところで、話は変わりますが、
ムッシュかまやつさんが、今月1日、
膵臓がんのため、78歳でお亡くなりになったそうです。
かまやつさんが歌った「我が良き友よ」という名曲は、
私の結婚式の時に、高校時代の親友たちが、皆で合唱してくれました。
かまやつさんは天に召されても、
「あの時君は若かった」、「いつまでもどこまでも」、「シンシア」など、
その名曲の数々は、いつまでも私の心の中で生き続けます……。