この言葉を聞くと、春らしい春が近いことを感じます。
さて、『俳句と暮らす』(小川軽舟著:中公新書)を読了しました。
この本は、日経新聞「読書」欄の書評を読んで購入しました。
「俳句」とは何か?、また、その魅力とは何か?
私は、本書の「あとがき」で書かれた著者の次のような文章に、
その答えを見つけたような気がします。
『私たちの日常は時代とともにある。
どんなに個人的なことであってもそこには時代の光と影が宿る。
忘れ去っていく日常のなんでもない記憶ーーー
それは私自身のものであるとともに、同じ時代を生きる私たちのものである。
俳句は一人一人の日常の思い出を共有のものとすることによって
私たち民族の思い出を残すことができる。
過去の思い出を背負って私たちの未来はある。』
『過去と未来の接点に現在の日常がある。
振り返れば過去があり、前を向けば未来があり、
見まわせば同じように平凡な日常を重ねる人々がいる。
俳句はこの何でもない日常を詩にすることができる文芸である。』
たくさんの俳句と著者の解説が掲載されていますが、
そのなかでも、私の印象に強く残った俳句は、
先ほどの書評でも紹介されていた著者の代表作、
『死ぬときは 箸置くように 草の花』です。
著者は、この自身の俳句について次のように解説されています。
『ご飯を食べ終えて「ごちそうさま」と箸を置く。
自分が生きてきたこの世に「ごちそうさま」と感謝しながら死ねたら
さぞかしいいだろう。
草の花は秋の季語で、野に咲くさまざまな草花を総称するもの。
草の花のようにささやかな人生であっても、
満ち足りた気持ちで終われれば何よりだ。』
私も、この俳句のように、「ごちそうさま」と、
この世に感謝しながら最期を迎えたいのが、ひそやかな願いです。