しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

ひそやかな願い

今日5日は、二十四節気の「啓蟄」です。

この言葉を聞くと、春らしい春が近いことを感じます。

 

さて、『俳句と暮らす』(小川軽舟著:中公新書)を読了しました。

この本は、日経新聞「読書」欄の書評を読んで購入しました。

「俳句」とは何か?、また、その魅力とは何か?

私は、本書の「あとがき」で書かれた著者の次のような文章に、

その答えを見つけたような気がします。

 

『私たちの日常は時代とともにある。

 どんなに個人的なことであってもそこには時代の光と影が宿る。

 忘れ去っていく日常のなんでもない記憶ーーー

 それは私自身のものであるとともに、同じ時代を生きる私たちのものである。

 俳句は一人一人の日常の思い出を共有のものとすることによって

 私たち民族の思い出を残すことができる。

 過去の思い出を背負って私たちの未来はある。』

 

『過去と未来の接点に現在の日常がある。

 振り返れば過去があり、前を向けば未来があり、

 見まわせば同じように平凡な日常を重ねる人々がいる。

 俳句はこの何でもない日常を詩にすることができる文芸である。』

 

なお、本書には、正岡子規高浜虚子松尾芭蕉をはじめ、

たくさんの俳句と著者の解説が掲載されていますが、

そのなかでも、私の印象に強く残った俳句は、

先ほどの書評でも紹介されていた著者の代表作、

『死ぬときは 箸置くように 草の花』です。

著者は、この自身の俳句について次のように解説されています。

 

『ご飯を食べ終えて「ごちそうさま」と箸を置く。

 自分が生きてきたこの世に「ごちそうさま」と感謝しながら死ねたら

 さぞかしいいだろう。

 草の花は秋の季語で、野に咲くさまざまな草花を総称するもの。

 草の花のようにささやかな人生であっても、

 満ち足りた気持ちで終われれば何よりだ。』

 

私も、この俳句のように、「ごちそうさま」と、

この世に感謝しながら最期を迎えたいのが、ひそやかな願いです。

 

俳句と暮らす (中公新書)

俳句と暮らす (中公新書)