読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

清冽の流れに根をひたす

『清冽~詩人茨木のり子の肖像』(後藤正治著:中公文庫)を読了しました。

後藤さんの著書を読むのは、

『天人~深代惇郎と新聞の時代』(講談社)に次いで、本書が2冊目となります。

また、本書を読み進めるに当たって、茨木さんの詩が登場するたびに、

茨木のり子詩集』(谷川俊太郎選:岩波文庫)を参照しました。

 

およそ詩の世界とは無縁の私が本書を読了した時には、

本書は付箋だらけの状態になっていました。

それほどまでに、茨木さんの生き方と後藤さんの文章に感動しました。

 

本書の中で、「茨木さんの“人”と“詩”がどういうものか」について書かれた箇所を、

いくつか以下に書き残しておきます。

・〈進歩〉という意味を取り違えた風潮への違和感にこだわりつつ、

 捨てられていくものに愛着を寄せ、そこからまた〈普遍〉への思いをはせる。

 このような「まっとうな感性」は終生、茨木が保持したものであったが、

 それが広汎な読者の支持を得たひとつの理由であろう。

・身近に接した人に、何か良きものを波動し残しゆくこと。

 詩は、そのことを言葉に希釈し、あるいは凝縮させて広く飛び散っていった

 花粉の胞子であったのかもしれない。

 その詩から、また彼女自身のただずまいから伝播してくるのは、

 すくっと立つ人格性である。

茨木のり子を強い人といってさしつかえあるまいが、

 終わりのない寂寥の日々を潜り抜けて生き抜く、耐える勁(つよ)さである。

 その資質は、ひょっとして、蓑をまとって通学した母たち、

 雪国の人々の伝えるものであるのかもしれない。

・茨木の詩と散文には、たとえ〈戦争〉をモチーフにしたものではなくても、

 埋め込まれた潜在意識のごとく、問いへの解を求め続けた思念が流れている。

 戦争は一人の詩人を生み落としたのである。

・人はだれでもなにがしか天賦のものを授かってこの世に現れてくる。

 茨木のり子の場合、詩才もさることながら、

 それは自身に忠実に生きんとする姿勢への意志力であったように思える。

・無意識化ーーとは、自身が自覚し対象化しえない深層の心理、

 積み重ねてきた人生の累積に潜むもの、あるいは受け継いでいる根深い形質……

 といったものであろう。

 人はだれも無意識化の水源をたたえ、そこから言葉が表出する。

 その泉が、茨木の場合、濁った泥沼ではなく、

 しんとして澄んだ湖のようなものが連想されるのは確かである。

茨木のり子には終始、固定したイデオロギーや特定の政治思想などない。

 広い意味での教養人であり、リベラリストであったが、

 そのような人々は、1960年代、

 社会的な層としていえばいまよりもはるかに厚く存在していた。

 自身の潜り抜けた戦争体験への自省を基点に、

 正面から自身と社会について思考することを止めない。

 それを良き〈戦後的精神〉といっていいのなら、

 彼女のなかにその精神を見るのである。

・彼女が“強い人”であったとは私は思わない。

 ただ、自身を律することにおいては強靭であった。

 その姿勢が詩作するというエネルギーの源でもあったろう。

 たとえ立ちすくむことはあったとしても、崩れることはなかった。

 そのことをもってもっとも彼女の〈品格〉を感じるのである。

・戦中、敗戦、戦後、現在……時代の相貌は著しく変わり続けた。

 けれども、いつの世も、

 人が生きる命題においては何ほどの変わりはないのかもしれない。

 自身を律し、慎み、志を持続してなすべきことを果たさんとするーー。

 それが、茨木のり子の全詩と生涯の主題であり、伝播してくるメッセージである。

・彼女が残した詩集を、また散文を、幾度が読み返した。

 豊かで、趣き深き作業であった。

 人が宿す、奥深き思念への層へと届いてくる言葉ーーそれが詩である。

 だから詩は、文学においてもっとも上位に位置されるものなのだろう。

 

ふぅ~、さすがに疲れました。もうこのあたりで止めます。

最後に、ノンフィクション作家の梯久美子さんが解説を書かれていました。

茨木さんの「古歌」という詩の、次の最終連を紹介されたうえで、

『「清冽」という本書のタイトルがこの詩からとられたものかどうか知らないが、

 本書を読み返すたびに、茨木がこの詩に書いたところの

 〈清冽の流れに根をひたす〉ような気持になる。』と……。

 

 清冽の流れに根をひたす

 わたしは岸辺の一本の芹

 わたしの貧しく小さな詩篇も

 いつかは誰かの哀しみを少しは濯(あら)うこともあるだろうか

 

また、次のようにも書かれていました。

『本書は茨木のり子という詩人の、人間としてのあたたかさや豊かさと同時に、

 表現者としてのきびしさと烈しさを伝えてくれる。

 後藤正治氏の筆が描き出す詩人の肖像にふれるうちに、

 読者は自分自身の人生を見つめ、問い直さざるを得なくなる。

 私はこのように深く考えたか。このように人を慈しんだか。

 誠実に時代に向き合い、果敢に自分の仕事をしたか、と。』

 

私も間違いなく、梯さんが述べられている「読者」の一人だと思います。

 

清冽  - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

清冽 - 詩人茨木のり子の肖像 (中公文庫)

 

 

茨木のり子詩集 (岩波文庫)

茨木のり子詩集 (岩波文庫)