今日29日の朝日新聞「折々のことば」は、
倫理学者・池上哲司さんの
『海のものとも山のものとも知れないのは、君にとっての彼女であり、
彼女にとっての君なのだよ』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『彼女ができた息子に、一つの家庭を維持するのに
どれほどの努力が要るかを確(しか)と伝えておこうと、父は思う。
昔、先の見込みも立たないまま先方の家を訪れ、
娘を独りで育てた母親のその兄に、
「海のものとも山のものとも知れない者に娘をやるんだからな」と
釘をさされた経験を反芻(はんすう)しつつ。
倫理学者の随想集「不可思議な日常」から。』
この解説を読んで、
妻と結婚するときに、妻の実家の御両親に挨拶に行ったことを、
遠い昔の話ですが、昨日のことのように思い出しました。
その時には、御両親とも温かく私を迎えてくれましたが、
おそらく内心では、鷲田さんの解説にあるように、
「海のものとも山のものとも知れない者に娘をやるなんて…」と
半ば諦めにも近い境地で、初対面の私を見ていたのではないでしょうか……。
そして、妻と結婚して、今月13日で満34年となりました。
お互い年を取りました……。
この間、いろいろな出来事がありましたが、
これまた鷲田さんの解説にあるように、
「一つの家庭を維持するのにどれほどの努力が要るか」を、
思い知らされた34年間でした。
一言付け加えさせていただくと、
一組の夫婦を維持するためには、一つの家庭を維持する以上に努力が要ると、
痛切に感じる今日この頃です……。(苦笑)