ふぅ~……、なんとか、めまいの発作に襲われることなく、
一日を過ごすことができました。
さて、今日26日の日経新聞に掲載された
『社会保障 不作為の歴史~妥協の小粒改革 限界』を読んで、
少し考えるところがありました。 記事の冒頭は、次のような文章で始まります。
『あのとき、なぜ手を打たなかったのか……。
社会保障にかかるお金の膨張ぶりから見えてくるのは、
改革の必要性を理解し、アイデアも出しながら、
それでもあえて先送りしてきた為政者たちの不作為の歴史だ。
団塊の世代が全員75歳以上になる2025年には、
社会保障給付費は今より3割近く多い約150兆円に膨らむ。
今こそ改革への半身の姿勢を断ち切らないと、
私たちもまた、後世のそしりを免れない。』
そして、特に大事なのは、財政が厳しくなるなか、
一人ひとりの自助の力を引き出していく工夫だとして、
記事では、医療、年金、介護それぞれについて、 次のような方策を提言していました。
また、これらの方策はいずれも、社会保障の支える側と支えられる側の見直し、
つまり「自助・共助・公助」の線の引き直しに帰結するもので、
忘れてはならないのは、高齢者向けの歳出で削った分を、
職業訓練や子育て支援など次世代への投資に振り向けることだと書かれていました。
【医療】高齢者の医療費負担引き上げの検討で、収入に加え資産も考慮する仕組みに
【年金】保険料を納める期間や受給開始年齢を自由に先延ばしできる制度の導入を
【介護】要介護者の増加に歯止めをかけるため、要介護度を上げない策への支援を
う~む……、なるほど。
娘や孫娘の世代のことを考えると、どれもごもっともな提言だけれども、
定年退職をして、これから高齢者の仲間入りをしていく私にとっては、
資産面や健康面での将来不安があって、「自助」と簡単に言われても、
「全面的には賛同し難い」というのが正直な気持ちです。
そう思っていたら、故・与謝野馨さんの次のような言葉が紹介されていました。
『5月に死去した与謝野馨元経済財政相は昨秋、 取材班とのインタビューで、
社会保障について「すでに問題点や課題は出ている。
反対する勢力に政治が立ち向かえるかが最大の問題だ」と
「遺言」ともいえる言葉を残した。』
私も、その「反対する勢力」の一人かもしれません…… 。