しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

一緒に苦しむ覚悟

今日6日の朝日新聞「折々のことば」は、正岡子規の母の

「のぼさん、のぼさん……サア、もう一遍痛いというてお見」という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

 

俳人の子規(幼名・升(のぼる))は晩年、

 脊椎(せきつい)カリエスに侵され体じゅう膿(うみ)が溜(た)まる。

 褥瘡(じょくそう)も惨(むご)く、激痛にのたうつ息子を看病する母は、

 ずっと「しかたがない」としか言わなかったが、

 ついに事切れた子規にこう声をかけた。

 やっと楽になれたのだろうが、

 私は傍(はた)でもっと一緒に苦しんでいたいとの親心。

  森まゆみの「子規の音」から。臨終の様子は河東碧梧桐の「子規の回想」にも。』

 

この文章を読んで、平成8年7月に、満62歳で急逝した母のことを思い出しました。

母はに慢性気管支ぜんそくの持病があり、毎日のように、咳に苦しんでいました。

咳がひどい時には息もするのも苦しそうで、

そうした母を、父や私はどうしたらよいか分からず、ただおたおたするだけで、

できることといえば、母の背中を摩ることしかありませんでした。

 

今から当時を振り返れば、正岡子規の母のように、

「傍(はた)で一緒に苦しんでいたい」という、

息子としての覚悟はなかったように思い、

いまでもそのことを妻から叱責されますが、私には返す言葉がありません。

 

明日7日、七夕の日は、その母の命日です……。