「のぼさん、のぼさん……サア、もう一遍痛いというてお見」という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『俳人の子規(幼名・升(のぼる))は晩年、
脊椎(せきつい)カリエスに侵され体じゅう膿(うみ)が溜(た)まる。
褥瘡(じょくそう)も惨(むご)く、激痛にのたうつ息子を看病する母は、
ずっと「しかたがない」としか言わなかったが、
ついに事切れた子規にこう声をかけた。
やっと楽になれたのだろうが、
私は傍(はた)でもっと一緒に苦しんでいたいとの親心。
森まゆみの「子規の音」から。臨終の様子は河東碧梧桐の「子規の回想」にも。』
この文章を読んで、平成8年7月に、満62歳で急逝した母のことを思い出しました。
母はに慢性気管支ぜんそくの持病があり、毎日のように、咳に苦しんでいました。
咳がひどい時には息もするのも苦しそうで、
そうした母を、父や私はどうしたらよいか分からず、ただおたおたするだけで、
できることといえば、母の背中を摩ることしかありませんでした。
今から当時を振り返れば、正岡子規の母のように、
「傍(はた)で一緒に苦しんでいたい」という、
息子としての覚悟はなかったように思い、
いまでもそのことを妻から叱責されますが、私には返す言葉がありません。
明日7日、七夕の日は、その母の命日です……。