「八月や六日九日十五日」
取り上げられていました。
「終戦72年の夏」という寄稿文のなかで、次のように書かれていました。
『先日、ある俳句雑誌でこんな句を見つけてウムと感服して思わず唸(うな)った。
〈八月や六日九日十五日〉作者名も書いてあったが、あえて書かない。
なぜなら、この話を友人の俳人にしたら、その句は「八月や」を、
「八月の」、「八月に」、などと変えていろいろな人につくられていて、
俳句の世界では有名なんだよ」と教えられたからである。
最初に詠んだ人は不明で、作者未詳となっているそうな。
いずれにしても、6日のヒロシマ、9日のナガサキとソ連軍の満州侵攻、
15日の天皇放送と、日本敗戦のあのくそ暑かった夏を体験した高齢者が
作者であるにちがいない。』
一方、産経新聞「産経抄」では、この句の具体的な作者名が紹介されていて、
『俳句は類似句との闘い、といわれる。わすが17文字の短詩ゆえに、
そっくりの作品が先行している可能性は常にある。』と書かれていました。
この二つの記事を読んで私が気になったのは、
「どこに原爆が落ちたのか知らない」という若い世代の声があるとのことで、
先ほどの「産経抄」では、
『「八月や」の句について、何を詠んでいるいるのかわからない。
まさかそんな若者は、いるはずがないと信じたいが。』と、
コラムニストの懸念の言葉が書かれていたことでした。
う~む……。(絶句)
「八月や 昭和は遠くなりにけり」と言ってしまえばそれまでなのですが、
「八月の歴史」が今の若い世代に伝承されていないとすれば、
とても由々しきことだと、日本人の一人として感じています。
私は戦争体験者ではないけれども、6歳と3か月になる孫娘には、
「六日九日十五日」に、今は平和な日本という国で何が起こったのか、
正しく伝えていきたいと思っています。