今日21日の日経新聞オピニオン欄の「核心」は、
芹川洋一・論説主幹の執筆による
『なぜ政治家は劣化したか』というタイトルの論評でした。
芹川論説主幹は、
『政治は、情と欲という人間の本性がむき出しになった権力闘争の場だ。
相手を蹴落としたり、足を引っぱったりするのが常だとしても、
それ以前に自滅している政治家が多いのはなぜだろうか。』
と疑問を提示されたうえで、
政治家の劣化の理由を、次のような4点にまとめられていました。
その1=議員の属性
生まれ育ちが東京で、地方を知らない地方選出議員が多くなっており、
その面々が要職を占めている。
地域密着で政治のプロ集団だった自民党がどこか変わってきているのはそのため。
その2=選挙制度
小選挙区になり風で当選して選挙のたびに入れ替わるから政治家が成長しない。
中選挙区では同じ政党の候補者同士による競り合いにより、
カネがかかりすぎて政治腐敗の原因となっていた。
小選挙区でそれを改める効果はあったものの、
政治家を育てるという面では難点がある。
その3=議員の教育
自民党の教育訓練機関は派閥だった。
派閥によって政治家としての立ち居振る舞い、 政治資金の集め方、
陳情の処理、官僚との付き合い方など教えこんだ。
地元に根っこのない候補者が風に乗って当選し、
議員になってもしっかりした教育をする仕組みが失われたことが劣化の人的要因。
その他=政治家の志
激しい権力闘争を繰りひろげていた昭和の政治家には
良しあしは別に貫く棒のようなものがあった。
本人がどこまで実践できたかはともかく、
職業政治家としての規範を持っていたのはたしか。
今の政治家にそうした自らよって立つところがあるかどうかということ。
う~む、なるほど……。
私は現役の頃、その職業柄、国会議員をはじめ
県議会議員・市町村長といった政治家の先生方と接触する機会が
多少なりともありましたが、劣化という感覚を抱いたことはあまりなく、
要は、「その先生の識見と人柄、そして志を支持するかどうか」のように思います。
そんなことを思いながら記事を読んでいると、
芹川論説主幹が最後に次のように述べられていて、大いに納得した次第です。
『「この国民にしてこの政府あり」といったのは
19世紀の英国の歴史家トーマス・カーライルだが、
「この国民にしてこの政治家あり」。
劣化した政治家はわれわれ自身を映す鏡であるのも
自覚しておかなければならないのだろう。』
追記
明日は職場の飲み会のため、この日記はお休みします……。