しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

〇も✕もない

今日20日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、能芸評論家・戸井田道三さんの

『わたしには「生きがいを求める」というのがどうもうさんくさい気がします。

 生命を軽んずる心がかくされているからです。』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。


『「単なる生存」ではなくて、人として「意味ある生活」をしたいと考えるのは、

 いのちというものへの傲慢(ごうまん)ではないかと、能芸の評論家は言う。

 一つのいのちがここにあること自体が、他のいのちとの共生による一つの達成である。

 だから人の「生存」を「役にたつとかたたぬとか計ってはいけない」と。

 「生きることに〇✕はない」から。』


う~む、なるほど‥‥。とても奥が深いお言葉です。

私なぞは、何も考えることなく、

「生きがい」とか「生きざま」という言葉を平然と使っているように思いますが、

戸井田さんのお言葉によると、「いのちというものへの傲慢」になりかねないのですね‥‥。

ただ、そうは言っても、私は「生きがい」とか「生きざま」という言葉は好きだなぁ~。

だって、由紀さおりさんの歌にも、『生きがい』という名曲があるんだもの‥‥。


♬ もう別れてしまった二人なのに

  遠くはなれてしまった二人なのに

  私はあなたとしか 生きられない

  それだけが 私のよろこび

  それだけが 私の幸せなの


こうしたケースの「生きがい」には、

役に立つとか立たないとか、〇も✕もないような気がします。

私は、「意味ある生活」を求めることが、いかにも人間らしいと思うのだけど、

解釈の仕方が間違っているのかな??