久々に、「折々のことば」からです‥‥。
今日19日の朝日新聞「折々のことば」は、哲学者・森口美都男さんの
『それなしで人が生きていけないものについて考えるのが、哲学です。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『カント哲学の研究者だったわが恩師が、学生を諭す時によく口にした言葉。
それなしで生きていけないものには、家族や社会、
さらに愛や掟(おきて)や信仰といったものもあろう。
私は「知」の根拠を問うことから始めたが、
やがて衣服も間違いなくその一つだと思い、一時期その主題にのめり込んだ。
別の教授からは「世も末だ」と言われたが、私は師の教えを守ったと今も思っている。』
う~む、なるほど‥‥。
哲学って、「それなしで人が生きていけないものについて考える」学問だったのですね。
でも、改めて「それなしで人が生きていけないものについて考える」と、
これが意外に難しいことに気が付きました。
私にとって、「それ」は何なのか??
「水」や「空気」など、人が生きていくうえで必要不可欠な物理的なものはさておくとして、
「それ」は、例えば、「家族」?それとも「座右の書」?
そういえば、安岡正篤先生が、
『活眼活学』(PHP研究所)で、次のようなことを書かれていたことを思い出しました。
『これは非常に深い問題であるが、自分は何か信仰・信念・哲学を持っておるかどうか。
これは一番人間としての根本問題である。
その人から地位だの、名誉だの、身分だの、報酬だのというものを引いてしまう、
あるいは、親子だの、妻子だのというものを引いてしまうと何が残るか、
何も残らぬということではいけない。
一切を剥奪されても、奪うべからざる永遠なもの、不滅なものが何かあるかという時、
答えられる人間にならなければならない。
それはつきつめたところ、何らかの信仰・信念・哲学というものを持っておらねば
能わぬことである。』
この安岡正篤先生のお言葉から判断すると、
「それ」なしで生きていけないものの一つが「哲学」であり、
そうしたことを考えるのが「哲学」であるということ‥‥。
再び、う~む‥‥‥。
「生きる」ということが、ますます分からなくなりました。(トホホ)