しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

生かされない教訓

大証券の一角だった山一証券が、巨額の簿外債務で経営破綻してから

昨日24日で20年が経過したことを受け、各種メディアに関連記事が掲載されています。

私もいくつか目を通してみましたが、朝日新聞デジタル版に掲載された

『破綻20年、山一の教訓』という記事における

元社員の方々の次のような言葉が強く印象に残りました。

 ・(当時の山一は)都合の悪いことは隠す。

  社の暗部を知っている人間を厚遇し、不祥事の関係者が偉くなっていった。

 ・企業に稼ぐ力が必要なように、個人も何があっても生き抜く力が必要だ。

 ・社内は主流派が幅を利かせ、健全な社内競争がなかった。

  決算でも『他社に見劣りするな。負けるな』と、根拠も戦略もなく、無理ばかりしていた。

 ・山一は組織をオープンにしておけば、こんなことはなかった。

 ・慣例だから、上が言うから、と甘えてしまう。

  流されずに、言いたいことを言えるようにしないといけない。

 ・最初は誰もが顧客のためにと思う。でも、忙しい毎日の中でそんな気持ちは失われていく。

  不正やおかしなことに意見を言えるかどうか。


また、「社員は皆、ものすごい使命感で、能力を最大限に発揮し、

最後まで誠実に対応した」とのことで、残務処理の正確さと誠実さについて、

元社員の方々の証言は一致する、記事にはこのようにも書かれていました。

でも、「なぜ、これだけ立派な社員がいた山一は潰れてしまったのか」‥‥。


そして、山一破綻から20年目の昨日、

三菱マテリアル子会社が検査データを改ざんしていた問題で、

3子会社のひとつ、三菱電線工業が改ざん把握後も

不正の疑いがある製品の出荷を続けていたことが明らかになったと」の報道がありました。

さきほどの山一の元社員の方々は、「破たんの教訓が最近の企業不祥事にも通じる」、

「多くのことを破綻から学んだ」とも述べられていました。


「問題を処理せず先延ばしにしても致命傷になる」、「山一の破綻は、問題から目をそらさず、

痛みがあっても対応することの重要さを思い知らされる出来事だった」‥‥。

なぜ、日本企業では、こうした山一破綻の教訓が生かされないのでしょう?

首をかしげるような日々が続いています‥‥。