今日5日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、探検家・角幡唯介さんの
『冒険の現場というのは概(おおむ)ね退屈で、
冒険に行くだけでは面白い文章が書けないことが多い』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『冒険の現場は人が思うほど劇的ではない。
苛酷(かこく)をきわめる北極探検も
「雪の上を歩いた。寒かった。飯を食った。寝た。」の22文字ですむ。
これが何十日も続くのが冒険で、
だから遭難でもしないかぎり面白い話にはならないと探検家は言う。
私たちの日常もきっとそう。
日々無事に過ごすだけでも大仕事なのに、それをことばにするとなんか凡庸になる。
「探検家の憂鬱(ゆううつ)」から。』
う~む、なるほど‥‥。いつもながら、とても含蓄に富むお言葉と解説です。
これでいくと、私の日常も、
「仕事に行った。しんどかった。飯を食った。寝た。」の23文字ですみ、
しかも、この生活が何十年も続いていることになります。
面白くもなんともない凡庸な人生ですが、
鷲田さんから「日々無事に過ごすだけでも大仕事」と言われると、
私の人生もそれなりに意味があったのかと思い、なんだかホッとするような気持になります‥。
私はまだまだ「無事之名馬」とか「無事之貴人」の域には達していませんが、
89歳になってもこれといった持病もなく、
自分の身の回りのことが曲がりなりにも自分でできる父と一緒に暮らしていると、
この事実こそが「無事之名馬」ではないかと思うようになりました。
失礼‥‥。身内をちょっとほめ過ぎたかもしれません‥‥。