今月24日の日経新聞一面コラム「春秋」の冒頭は、次のような文章でした。
現代史の年表には、2003年の出来事としてこんなあれこれが並んでいる。
そうか、あの当時……と少し懐かしいが、ついこのあいだの日々でもある。
そのころ生まれた赤ちゃんは、いま中学生になった。世間では、まだコドモだ。』
続いてコラムは、そのまだ「コドモ」であるはずの中学生が大活躍していて、
例として、14歳で作家としてデビューした鈴木るりかさん、
史上最年少の14歳2カ月でプロ入りした将棋の藤井聡太四段、
14歳6カ月の史上最年少で全日本選手権王者の座に就いた卓球の張本智和選手、
この三人の名前を上げていました。そして、コラムは次のような文章で締めくくっていました。
『30年あまりで幕となる平成時代の、ちょうど半ばごろ生をうけた世代が、
早くもとりどりに花開く景色の爽快さよ。人々は平成を沈滞の時代だったと言う。
失われた何十年などと嘆きもする。しかしそういう月日のなかにも力強い歩みがあったのだ。
ぼやきがちな平成のオトナたちを挑発する、めっぽう若い力ではないか。』
この文章を読んで、この日記で何度も取り上げたことがある
芥川賞作家・柴田翔の『されど わらが日々』(文春文庫)の、次の一節を思い出しました。
『やがて、私たちが本当に老いた時、若い人たちがきくかもしれない。
あなた方の頃はどうだったのかと。
その時私たちは答えるだろう。私たちの頃にも同じように困難があった。
もちろん時代が違うから違う困難であったけれども、困難があるという点では同じだった。
そして、私たちはそれと馴れ合って、こうして老いてきた。
だが、私たちの中にも、時代の困難から抜け出し、
新しい生活へ勇敢に進みだそうとした人がいたのだと。』
それぞれの時代にはそれぞれの困難があり、
そして、その困難な状況のなかでも、力強く勇敢に進もうとする若者がいる‥‥。
老いた私も、「さてもうひと踏ん張りしてみようか」と思わせるような、
そんな元気の出るコラムでした。