昨日19日は、二十四節気の「雨水」、
七十二候の「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」でした。
「暮らしの歳時記」によると、「雨水」は、
『雪から雨へと変わり、降り積もった雪も溶けだす頃という意味です。
実際にはまだ雪深いところも多く、これから雪が降り出す地域もありますが、
ちろちろと流れ出す雪溶け水に、春の足音を感じます。』
また、「土脉潤起(つちのしょううるおいおこる)」は、
『雪がしっとりとした春の雨にかわり、大地が潤い始める頃。「脉」は脈の俗字です。』
という解説がありました。その解説にあるように、最近は、
太陽の光や肌に当たる外気に「春の足音」を感じるようになりました。
そして、今日20日は、少々マニアックではありますが、「愛媛県政発足記念日」です。
こちらは「こよみのページ」に、『1873年(明治6年)のこの日、廃藩置県を受け、
石鐵県と神山県が統合されて愛媛県が誕生したことによる。』という解説がありました。
さて、話は変わりますが、今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
劇作家・平田オリザさんの『ディベートは、話す前と後で考えが変わったほうが負け。
ダイアローグは、話す前と後で考えが変わっていなければ意味がない。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『ディベート(討論)とダイアローグ(対話)の違いについて訊(たず)ねたとき、
劇作家から即座に返ってきた答え。対話は、共通の足場をもたない者のあいだで試みられる。
呼びかけと応えの愉(たの)しい交換であり、吐露と聴取の控えめな交換であり、
埋まらない溝を思い知らされたあとの沈黙の交換でもある。討論よりおそらくはるかに難しい。』
う~む、なるほど‥‥。とても含蓄に富む「ことば」と「解説」だと思います。
ディベートとダイアローグの違いについて、即座に回答できる平田さんと、
それを平易に解説することができる鷲田さんの才能に、どうしようもなく驚いている私がいます。
追 記
日記を書くネタに困るとき、「暮らしの歳時記」や「こよみのページ」、
そして「折々のことば」に、いつも助けられています。(苦笑)