年度始めということもあって、忙しい毎日を過ごしています。
さて、今日は、二十四節気の「清明」(4/5 ~4/19)で、
七十二候では「玄鳥至(つばめきたる)」(4/5 ~ 4/9)です。
「暮らしの歳時記」のHPを見ると、それぞれ次のような解説がありました。
・清明は「清浄明潔」の略で、万物がけがれなく清らかで生き生きしているという意味。
花が咲き、鳥は歌い、空は青く澄み、爽やかな風が吹き、すべてのものが春の息吹を謳歌する頃。
・燕が南の国から渡ってくる頃。「玄鳥」(げんちょう)とは燕の異名。
へぇ~、ツバメの異称が「玄鳥」とは知りませんでした。
温暖な気候のこちら愛媛でも、今日はツバメの姿を見ることはできませんでした。
ところで、季節は「清浄明潔」とはいいながら、
私の精神状態は、職場環境の変化や多忙さもあって、今一つすぐれません‥‥。
このような精神状態を的確に表す言葉として、「春愁」という言葉があることを、
『俳句歳時記』(角川ソフィア文庫)を眺めていて知りました。そこには、次のように書かれています。
『春は生きとし生けるものが蘇る季節であり、周囲は光に満ち溢れているが、
その反面訳の分からないような哀愁を感じる時がある。
具体的な悲しみではなく、もの思いにけるようなやりきれないような気分をいう。』
ネットで調べてみると、『生きている限り春愁つきまとい』(伊藤一歩)という俳句がありました。
どうやら「春愁」は、生きている「証(あかし)」のようです‥‥。