しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

正論が異論?

今日は、強く冷たい風が吹いて、冬に逆戻りしたような肌寒い一日となりました。


さて、昨日6日の朝日新聞デジタル版「異論のススメ」に、

保守の論客である佐伯啓思京都大学名誉教授が、

『森友問題一色の国会 重要政策論の不在、残念』というタイトルの論評を寄稿されていました。

とても大切な視点を指摘されていると思ったので、少々長くなりますが、

この日記に次のとおり残しておきたいと思います。


『 ~(略)~ 今、この問題はおおよそ次のように論じられている。

 「財務省のなかで、森友学園に対する国有地払い下げ問題についての決裁文書が書き換えられた。

 日本を代表するエリート集団であり、慎重にも慎重を期すはずの財務官僚が

 このようなことをするとは考えられない。とすれば、強力な政治的圧力がかかったのであろう。

 それだけの政治的圧力をかけるのは官邸か財務大臣であろう。

 にもかかわらず、佐川宣寿前理財局長にすべての責任を負わせて幕引きをはかろうとしている」

 おおよそこれが、野党の主張であり、テレビのワイドショーや報道番組も含めた

 大方のメディアの報道姿勢であり、まさしくその方向で世論が醸成されている。

 しかし、現時点で確かなことは、ただ財務省内部での改ざんの事実であり、

 官邸の関与はなかったと佐川氏が発言したことであり、森友学園問題は現在、検察が捜査中、

 ということだけである。官邸が関与したという事実は何もでていない。

 財務省内部で「忖度(そんたく)」があろうがなかろうが、

 首相夫人が安易なリップサービスをしようがしまいが、

 それは官邸の関与を示す証拠にはならない。

 もしも、官邸が森友学園に関与したり、文書の書き換えを指示したりしたという

 有力な証拠や証言がでれば、その時には強く追及されなければならない。

 しかし、現時点では証拠はない。

 だが証拠がないから、野党は、財務省も官邸も「真相」を隠そうとしている、と主張する。

 多くのメディアがそれに同調し、連日のテレビや新聞報道を通してそれが世論になる。

 ひとたび世論となれば、国民は「真相解明」を求めている、ということになる。

 こうして、あたかも官邸や財務大臣財務省に圧力をかけ、

 「事実」を隠蔽(いんぺい)しようとしているかのようなイメージが作られる。

 だがそれが事実かどうかは現時点ではまったくわからないのだ。

 とすれば、連日、国会の予算委員会からテレビや新聞、週刊誌にいたる森友学園騒ぎと、

 安倍内閣の支持率を一気に下降させた政治的エネルギーはといえば、

 事実も想像力も、また様々な政治的思惑も推測もごちゃまぜになった

 マス・センティメント(大衆的情緒)であり、

 この大衆的情緒をめぐる駆け引きであるといわざるをえない。

 だがそれこそが大衆民主政治というものなのであろう。

 その時その時の不安定なイメージや情緒によって

 政治が右に左に揺れ動くのが大衆民主政治というものだからだ。


 私がもっとも残念に思うのは、今日、国会で論じるべき重要テーマはいくらでもあるのに、

 そのことからわれわれの目がそらされてしまうことなのである。

 トランプ氏の保護主義への対応、アベノミクスの成果(黒田東彦日銀総裁による超金融緩和の継続、

 財政拡張路線など)、朝鮮半島をめぐる問題、米朝首脳会談と日本の立場、TPP等々。

 私は安倍首相の政策を必ずしも支持しないが、それでもこうした問題について安倍首相は、

 ひとつの方向を打ち出しており、そこには論じるべき重要な論点がある。

 問題は、野党が、まったく対案を打ち出せない点にこそある。

 だから結果として「安倍一強」になっているのだ。

 日本社会は(そしておそらくは世界も)今日、大きな岐路にたたされていると私は思う。

 麻生太郎財務大臣が「森友学園問題はTPP問題より大事なのか」といって物議をかもしたが、

 当事者の発言としては不適切だとしても、当事者でないメディアが述べるのは問題ないであろう。

 財務省の文書改ざんの「真相解明」はそれでよいとしても、

 それ一色になって、重要な政策論が見えなくなるのは残念である。

 安倍首相の打ち出す方向に対する代替的なビジョンを示して政策論を戦わせるのもまた、

 いやその方が大新聞やメディアに課された役割であろう。』


はぃ、まことに佐伯先生のおっしゃるとおりだと思います。

ところで、森友問題追及の急先鋒である朝日新聞が、

このような佐伯先生の論評をその紙面で紹介したことは、冷静・客観的な報道として評価できます。

でもそれが「異論」というのはいかがなものでしょう?

私には佐伯先生の論評こそが「正論」に思えるのですが‥‥。違うのかしら?