昨日13日の朝日新聞デジタル版「耕論」は、『高齢者はどう生きるか』というテーマでした。
高齢者は「65歳」から、という線引きの見直し論が出ていることについて、
「長く働かせようとしている」「年金支給を遅らせようとしている」など、
さまざまな意見があるなかで、3人の有識者にインタビューした記事でしたが、
一番共感を覚えたのは、経済アナリスト・森永卓郎さんの、次のような意見でした。
『高齢者の定義を変えようという動きの背後には、
年金の支給開始年齢を70歳に引き上げようとする政府の方針があると思います。
2014年公表の厚生労働省の年金財政検証では、将来推計を8パターン出した。
そのうち現役世代の手取り収入に対して年金額が50%以上という基準を満たす五つは、
65~69歳の男性の労働力率、つまり働く割合を66.7%に設定しています。
つまり、3分の2が70歳まで働けば年金水準を維持できるけれど、
そうでなければ年金を減らすしかない、という試算なんです。
安倍政権の成長戦略は、年をとっても働け、ということにつきます。
「1億総活躍社会」は、経済成長のための国家総動員体制なんですよ。
70歳まで働いたほうが成長率が上がるというのは経済学的には正しい。
問題は、そういう社会が望ましいのかということです。日本人男性の健康寿命は72.14歳。
70歳まで働いて働いて、2年後に介護施設に入る、あるいは無理がたたって数年で死ぬ、
というのは、幸福な人生なのか。
「経済成長こそすべての目標だ」というのは、考え直す時期に来ていると思うんですよ。
絶対的貧困はなくさなければいけないけれど、高齢まで働き続けて、
必要以上に経済を成長させても、幸せな社会にはなりません。
~(略)~ 70歳まで経済成長のために働く社会と、
年金は下がっても65歳から好きなことをやる社会と、どちらが望ましいのか。
本来、選択は国民に委ねられるべきです。
しかし安倍政権は国民に選択肢を示さず、高齢者の定義を急に変え、
なし崩しで70歳まで働く社会にもっていこうとしている。これはアンフェアです。
高齢者の基準を決めるには、まずどういう人生が幸福かという根本的な議論をすべきです。
政府が勝手に決めていいものではないですよ。』
う~む、なるほど‥‥。「1億総活躍社会」は、経済成長のための国家総動員体制ですか‥。
私ごとですが、昨年12月に62歳になって、
この4月から、ようやく年金が支給されるようになりました。
定年退職後は手取り収入が激減し、この2年間は金銭的に本当にしんどかったです。
今でさえ金銭的にも肉体的にもしんどいのに、
70歳まで働かなければならない社会は、私には想像を絶する世界です。
でも、これからは、できるだけ長く働かなくては、
生きていけない社会になっていくのでしょうね、きっと‥‥。
現在の日本では、「隠居」という言葉が、既に死語になっているのかもしれません。