今日11月11日が、第1次大戦終結から100年であることを、
愛媛新聞一面コラム「地軸」を読んで知りました。コラムの冒頭は、次のような文章で始まります。
『「戦争」と聞いて、われわれがイメージするのは、太平洋戦争、第2次世界大戦だろう。
比べると第1次大戦への関心は低いかもしれないが、
欧州では昨日のことのように話す人がいるほど、その影を引きずるという。
第1次大戦は、各国が国力のすべてを動員した初の総力戦となった。
戦車や飛行機、潜水艦、毒ガスといった新兵器が投入され、戦死者は900万人にも上る。』
コラムに書かれていることが気になって、ウィキペディアで調べてみると、
第1次大戦について、次のようなことも書かれていました。
『この戦争における砲撃の数量はすさまじく、
西部戦線の主戦場となったフランスの内務省によれば、国内で約14億発の砲弾が使用され、
そのうち約1割が不発弾となったという。
内務省の爆発物処理隊隊員が加盟している研究会では、
そのすべてを地中から処理するためにかかる時間を約700年と試算している。
毒ガスに汚染された地域・毒ガスの不発弾の存在もあり、
立ち入ることの出来ない地帯も広範囲に存在している。 』
う~む、700年ですか‥‥。気の遠くなるような数字です。
ヨーロッパがこんな状態であることは、今の今まで知りませんでした。
なお、先ほどのコラムでは、第1次大戦の若きドイツ兵を描いてアカデミー賞を受賞した
米映画「西部戦線異状なし」のことが書かれていました。
負傷して故郷に戻った主人公が、生徒たちを鼓舞する体験談を求められる場面で
ためらいながら語ったという、「祖国に命をささげるのが正しいことなのか」という言葉は、
いつの時代も変わらぬ「戦争という究極の不条理」について、改めて考えさせるものがありました。
第1次大戦終結から100年目の今日は、
欧米やロシアの首脳が集い、パリで記念式典が開かれるそうです。
私にとっては、秀逸なコラムを読むことができた、実りのある一日でした。