小学一年生の孫娘は、放課後児童クラブから我が家に「直帰」することが時々あるのですが、
その際には、当然のことながら、服装は制服のままでランドセルを背負って帰ってきます。
先日、孫娘が我が家に直帰した時に、試しにそのランドセルを持たせてもらうと、
これがあまりにも重いので、本当にびっくりしました。
啄木の短歌ではありませんが、
「戯れに ランドセルを背負いてそのあまり 重きに泣きて 三歩歩まず」の世界です。
「ランドセルそのもの」も重かったのですが、
ランドセルの中には教科書や教材が、びっしり詰まっていました。
こんなに重たいランドセルを背負って毎日通学していると、
元気な小学生とはいえ、肩や腰を痛めるのではないかと心配になります。
そんなランドセルについて、今日の日経新聞「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
『リーゼントの髪に学ラン、カバンは薄くつぶしてペッタンコ‥‥。
往年のツッパリ少年はわかりやすい格好をしていた。
カバンがそれだから教科書など勉強道具は教室に置きっ放しだ。
そこから「置き勉」なる言葉が生まれたらしい。まあ、不良たちの「文化」である。
大人の眉をひそめさせた、そんな「置き勉」を容認する学校が昨今は少なくない。
教科書が「脱ゆとり」の影響で分厚くなり、
おまけに小学生の場合はランドセル自体がずっしりとくる重量である。
体重の半分近い荷物を背負う子もいるという。
せんだって、文部科学省は「必要に応じ適切な配慮」を求める通知を出した。
ここは苦肉の策なのだろう。
しかし、もっと勉強せよとハッパをかけ、一方で予習復習をしないのには目をつぶる‥
としたらおかしな話である。
このさい、タブレット端末などを使ったデジタル教科書へとかじを切ってもいいはずだが、
何ごとにも慎重なのが教育界だ。親たちの間にも「教科書は紙」という観念は強い。
(以下、~ (略 )~) 』
う~む、なるほど‥‥。
確かに、「置き勉」を認めるなら、宿題もできるだけ出さないようにしないといけませんよね‥。
また、教科書をタブレット端末に置き換えることについては、
私のような古いアナログ人間は、「ちょっとどうかな‥?」と思うところがあります。
ランドセルには、教科書や教材だけではなく、いろんな課題も一緒に詰まっているのですね‥‥。