今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、柳家小三治師匠の
『安心しているときが、一番危ないときだよ。迷ってねぇときは、危ない。
迷っているときは、もっと危ない。要するにいつも危ない。』という言葉で、
いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。
『「お前の噺(はなし)は面白くねぇな」と、
師匠の小さんからきついだめ出しをくらって以来ずっと、
「これでいいわけはない」と思ってきたと噺家は言う。
行き着く先が知れぬまま、納得のゆくまで試行錯誤は続く。
人生、やり終えたと言い切れるのは、それを自分一人のものと勘違いした時か。
「別冊太陽/十代目柳家小三治」でのインタビューから。』
う~む‥‥。(沈黙)
この鷲田さんの解説のなかで、
「人生、やり終えたと言い切れるのは、それを自分一人のものと勘違いした時か。」というのは、
どのように理解したらいいのでしょう‥?今日の解説は、私にはちょっと難しかったです。
ところで、最近、私は、
NHKテレビの「日本の話芸」をビデオに録画して、休みの日に観るようにしています。
これまで、何人かの落語家の噺を聴いてきましたが、
小三治師匠のそれが一番面白いのではないかと感じています。
噺のどこに魅力を感じるのか、自分なりに考えてみたところ、
それは絶妙な「話の間」ではないかと‥‥、そんなふうに結論付けました。
そういえば、小説やエッセイ・コラム、論評などの書物についても、
「行間」に書き手の意図を読み取る必要があるとよく言われます。
日本と日本人にとっては、「間」というものが、何事においても大切なのかもしれません‥‥。