昨日19日に日経新聞ONLINEに掲載された、精神科医・和田秀樹さんの
『中年になったら勉強してはならない~知識の加工と応用で脳を刺激せよ』
という記事がとても勉強になりました。
この記事のなかで、和田さんは、
英文学者・外山滋比古さんと『文藝春秋』誌(2011年6月号)で対談した際に、
外山さんが「定年後になってまで勉強してはいけない」と、次のように話されたことを紹介されていました。
・受験勉強のように目標のあるものは励みやすいが、机上の知識より、その先に何をするかこそが知的生活
・子どもが文字を覚えるならいざ知らず、
いまごろになって知識をインプットしてもそんなに楽しいものでない。
・文字の方が優れていると思いがちだが、話し言葉の方が刺激的。相手の反応がある。
人に聞いてもらえるように話すことで頭を使う。
・自分の経験から新しい知恵を生み出し、嫌な目に遭ったらぱっと忘れて前を向く。
こうして脳の新陳代謝を活発にする。(「文藝春秋」2011年6月号から抜粋要約)
これらは、「知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、
知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せ」ということだそうです。
そのうえで、和田さんは、次のようなことを述べられていました。
・読書自体は否定しないが、新しいことを知れたとか、定説を知れたということで満足するのでなく、
知識の幅を広げることで思考の幅が広がる、つまり一つの説だけで満足するのでなく、
いろいろな説を読んで、世の中には多様な考え方があるし、
先々どう答えが変わるかわからないというようなスタンスを持ちたい。
・特に要注意なのは、特定の著者や学説のファンになって、それしか読まなくなることだ。
気分はいいだろうし、知識も増えた気がするかもしれないが、
これでは前頭葉は恐らく活性化しない。右派の考えを持つ人なら左寄りの本を、
左の人なら右の雑誌をという形で、
いろいろと反論が思いつくような読書をした方がよほど前頭葉には刺激的だ。
う~む、なるほど‥‥。
「知識注入型の勉強からアウトプットへ移行し、知識や経験を加工・応用して新しい知恵を生み出せ」ですか。
なるほど、ごもっともではあります。
ですが、そもそも加工・応用できるような知識や経験を持ち合わせていなければ、話は別ですよね‥‥。
ですから、私の場合は、まだまだ知識を注入する必要がありそうです。
ただ、その際には、和田さんご指摘のように、「世の中には多様な考え方があるし、
先々どう答えが変わるかわからないというようなスタンス」を持つように心掛けたいと思います。
今日の日記は、「ですが」や「ただ」が多くなってしまいました。(反省)