七十二候では「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」が始まっています。
「暮らし歳時記」のHPには、
「小雪」は、『山には初雪が舞い始める頃です。「小雪」とは、冬とは言え
まだ雪はさほど多くないという意味で、冬の入口にあたります。』
また、「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」は、『陽の光も弱まり、虹を見かけなくなる頃。
「蔵」には潜むという意味があります。』という解説がありました。
まだ、「冬の入り口」ですか‥‥。これからは、寒さに身構える日が多くなりそうです。
さて、叔父の一周忌の法要があった一昨日の23日、
お墓掃除も済ませて車で帰宅途中、高速自動車道の伊予ICを降りた頃に、
同乗の孫娘が東の夜空を指さして、「あっ‥、大きなお月様が見える!」と言いました。
その方角を車窓から見上げると、確かに奇麗な満月がくっきりと見えます‥‥。
今日になって知ったのですが、朝日新聞デジタル版には次のようなことが書かれていました。
「この世をばわが世とぞ思ふ望月(もちづき)の欠けたることもなしと思へば」と詠んでから
ちょうど1千年後の満月が23日夕、昇った。栄華を極めた藤原氏の時代は移り変わったが、
望月はなお欠けることなく地上を照らし続けている。』
「千年後」といえば、俳句甲子園の数年前の最優秀句に、
『夕焼けや 千年後には 鳥の国』という句があったことを思い出します。
千年後に人類は、私たちと同じように、この奇麗な満月を見ることができるのでしょうか‥‥?
ひょっとしたら、月から地球を眺めているのかもしれません。