しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「分身」としての手帳

今日は四週間に一度の通院の日です。

いつもなら、3時間か半日単位で休暇を取得するところなのですが、今日は丸一日、仕事をお休みしました。

診察が終わった後は何をしたかというと、まずは、いつもの大型書店に直行です。

気に入った本を数冊買い、次は、百貨店にある生活雑貨店に行って、来年の手帳を購入しました。

その「手帳」に関する話題が、昨日の日経新聞一面コラム「春秋」に、次のように書かれていました。


『今年もあと、ひと月余りとなった。手帳の残りも少なくなり「さて来年のものを」と

 東京は神田神保町の大型書店へ足を運んだ。あるわ、あるわ。大きなものから小さなもの、

 表紙が硬いものや柔らかいもの、国産から舶来品まで書籍を押しのけんばかりに並んでいる。

 この時期、ビジネス雑誌が「手帳術」の特集を組む。

 仕事がはかどったり、いい案がまとまったり、お金がたまったり。

 カラフルで、チャートが描かれ、かっこよく付箋がはってあるページが紹介されていて、

 デキる人は違うと思わせる。でも、到底、見習えるはずもなく、

 結局は、ごく普通の品を普通に汚すことになる。

 平成半ばに他界した山本夏彦さんがこんなことを書いていた。

 「人生は50冊の手帳程度のもの。積めば1メートル、広げれば1坪」。

 さまざまな予定や雑事を詰め込んだ、私的な著作集のようなものか。

 「分身の手帳探せり神無月」(大牧広)。

 なぐり書きにも日々の喜怒哀楽があらわれて、雑然としつつも、どこかいとおしい。

 ちなみに「日記買う」は冬の季語。「人波のここに愉(たの)しや日記買ふ」(中村汀女)の句がある。

 年の瀬の華やぎがあふれるようだ。「手帳買う」も新たな年への思いは同じだろう。

 まっ白なページをあけ、まず4~5月の10連休に線を引いてみた。

 表紙が手になじむころ、世の中はどうなっているか。不安と期待が交じる。』


う~む、なるほど‥‥。手帳は「分身」ですか‥。お上手な表現ですね。

手帳といえば、私は「超」整理手帳を長年愛用してきました。

でも、定年退職後は、手帳に書き込む行事が少なくなることが予想されたので、

コンパクトな手帳に切り替えることにしました。それでも、余白部分が多く残っています。


ところで、コラムに書かれていた「10連休」は、新しい手帳には祝日と記載されていませんでした。

その代わり、小さな字で「※法改正にともない祝日がかわる場合があります。」と書かれています。

この「10連休」に、今から行事が書き込めればとっても嬉しいのですが、

私のことですから、まっ白なまま終わってしまいそうな気がします。

そうは言っても、「分身」としての手帳を持つことができるのは、案外、幸せな人生なのかもしれません。