朝日新聞デジタル版「語る 人生の贈りもの」では、
シンガー・ソングライター、さだまさしさんの連載が続いています。
今日の第12回目は、『逃げ帰っても長崎は優しかった』というタイトルで、
故郷と母親の思い出について、ジーンと心に沁みるような、次のようなことが書かれていました。
・故郷への思いは強い方だと思います。
中学1年から一人で東京で暮らして長崎にいられなかったことが、すごく切なかったので。
《1987年発表の「風に立つライオン」で、
「故郷ではなく東京の桜が恋しいということが/自分でもおかしい位です」と歌った》
桜が咲く季節に故郷にいたことが少なかったので、僕は長崎の桜の印象がない。
つい、「桜は千鳥ケ淵」と言っちゃうんです。
僕は失敗して負け続けてきた、へたれな人生です。
鳴り物入りで東京に出て音楽学校に落ちて、音楽大学は受験もせず、
クラシックで食えなくて歌い手に‥‥。
何かあるたびに僕は故郷に逃げ帰り、しかも長崎の歌で売れた。
そんな僕に、故郷はいつも優しかったんです。
・僕にとって故郷といえば母です。
母は長崎っ子で、くんちのおはやしが聞こえると腰が浮くような人。
晩年は、くんちの出し物が庭先に来ると祝儀をバーンとはずんでね。かっこよかったですよ。
母は非常に活発で、家に人が集まるのが好き。僕らが子どもの頃は友達も母が面倒をみてくれて、
「ご飯ですよ」と声をかけて「はーい」と8人座ると、自分んちの子どもが一人もいなかった、
なんてことがよくある家でした。父が亡くなった後は法事で親類が集まると、
みんなでおいしいものを食べに行って母が払う。円卓でワーッとやるのが両親とも好きでしたね。
このお話しを読んで、私にも思い出すことがいくつかありました。
一つ目は「東京の桜」のお話し。
転校生だった私は、故郷を含めて、ご当地の桜の思い出がほとんどありません。
鮮明に記憶に残っているのは、大学に入学する際、上京した時に観た「東京の桜」です。
二つ目は「故郷と母親」のお話し。私にとっても故郷は母親と同義語になります。
さださんのお母さんと私の母とはちょっとタイプは違うけれど、
我が家にも、親戚はもちろんのこと、母を慕って多くの人が訪ねてきました。
私の高校の同級生なんか、帰省の際に、自分の家に帰る前に我が家に立ち寄っていました。
身体は弱かったけれども漁師町生まれの母は開放的な性格で、
食卓を囲んで皆でワイワイガヤガヤするのが何よりも楽しみだったのです。
三つ目は「失敗して負け続けてきた、へたれな人生」のお話し。
大学受験や就職活動など、失敗だらけの私の人生‥‥。
傷心した私を癒し、温かく迎えてくれたのは、いつも「故郷と母親という存在」でした。
私の大好きな、さださんの「主人公」、「想い出はゆりかご」、「きみのふるさと」、
「精霊流し」といった名曲を改めて聴くと、「故郷と母親」の思い出が蘇ります‥‥。