しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

グローバル競争原理と価値観

今日7日の朝日新聞デジタル版「異論のススメ」に、佐伯啓思・京大名誉教授が、

『道徳観と切り離された報酬額~「常識」あっての市場競争』というタイトルの論評を

寄稿されていました。

カルロス・ゴーン日産自動車元会長の突然の逮捕という撃的なニュースに関連した内容で、

「グローバル競争と価値観」について、多くの学ぶべき点がありましたので、

少々長くなりますが、いつものようにこの日記をメモ代わりにして、

次のとおり、佐伯先生の「名文」を書き残しておきたいと思います。


・ゴーン氏の日産社長就任によって、日産の多くの工場が閉鎖され、

 2万人を超す従業員が解雇され、その上で日産は奇跡の業績回復を果たした。

 その功績によって彼は「コストカッター」の異名をとって日産の大功績者となった。

 「コストカッター」などといえば聞こえはよいが、

 へたをすればこれは「ヒューマンカッター(人間切り)」である。


・2万人を超す従業員の犠牲の上に、5年で100億円の報酬を受け取るということは、

 法的問題はなくとも倫理的な問題ではないのだろうか。これが常識的な感覚であろう。

 もしも、虚偽記載の理由が社員の批判を恐れたというものであるなら、

 彼が恐れたのはこの常識である。


・仮に、彼がこの常識を恐れずに報酬を正確に記載し、さほど日産を食い物にしなければ、

 それで問題はないのだろうか。

 クビになる従業員とクビにする経営者の間にこれほどの格差がつき、

 短期的成果を達成した無慈悲な「コストカッター」が、すっかり英雄扱いをされ、

 神格化されてしまうことは倫理的な問題ではないのだろうか。


・多くの人は、何かおかしいと思うであろう。常識とはそういうものである。

 ところが、常識が何とささやこうが、この格差は今日の市場競争主義の帰結であり、

 そこに法的問題は何もない。

 年に数えるほどしか会社にやってこない最高経営責任者が年間20億円の報酬を得ようが、

 それが正当な契約に基づく限り、倫理的、道徳的に問うことも難しい。


・ゴーン氏の問題を離れてもう少し一般化していえば、今日のグローバル市場は、

 短期間に企業業績を回復させ、株価を上昇させた経営者には巨額の報酬を与え、

 他方で、一般従業員の平均的賃金は下落させる。

 それがグローバルな競争原理であり、自己責任原則であり、成果主義能力主義である、

 ということになった。法に違反しなければ問題はない。


・だが、かつて自由な市場競争の重要性をいち早く発見して

 「経済学の父」などと呼ばれるアダム・スミスはまた「道徳感情論」の著者でもあって、

 人間社会を構成するものは、人々の相互に対する共感(同感)だと強く主張していた。

 いくら個人の自由や競争といっても、市場がうまく機能するためには、

 その背後に人々相互の共感がなければならないことをスミスは知っていた。

 市場競争といえども、社会の中にある人々の信頼や相互的共感に

 支えられなければならないのである。


・それから260年ほどたった。時代は違っている。

 だが、グローバルに拡大した市場競争を支える経済理論の基本は、

 スミス以来ほとんど変わっていない。

 ただ、社会を構成する道徳感情をすっかり捨て去っただけである。

 そして、市場理論が抽象化されて理論として高度化するにつれて、

 経済は、倫理や道徳からはすっかり切り離されてきた。

 そのことと、今日のあまりの格差や過剰なまでの短期的な成果主義の現状は無関係ではなかろう。


・倫理観や道徳観念は国や地域によって少しずつ異なっている。

 一般論としていえば、米国では、自由競争、自己責任、

 法の尊重(逆にいえば法に触れなければよい)、能力主義、数値主義などが

 大きな価値を持って受け入れられる。しかし、日本ではそうではない。

 協調性やある程度の平等性、相互的な信頼性などが価値になる。


・だが米国流の価値をグローバル・スタンダードとみなした時、

 グローバル競争は、日本の価値観や道徳観とは必ずしも合致しなくなる。

 しかしそれでよいではないか。もともとグローバル・スタンダードなどという

 確かなものはないのだ。

 あるのは、それぞれの国の社会に堆積(たいせき)された価値観、つまり「常識」であり、

 そこには明示はされないものの、緩やかな道徳観念がある。

 企業も市場経済も、この「われわれの常識」に基づいているはずなのである。


う~む、なるほど‥‥。

功成り名遂げたゴーン元会長が、なぜ虚偽記載をする必要があったのか、

私にはいま一つ腑に落ちない点がありましたが、これでちょっとすっきりしました。

ところで、グローバル競争といえば、今の米中貿易摩擦泥仕合を思い起こしますが、

スミスが想定していた「人々の信頼や相互的共感」には、およそ程遠い世界のような気がします。