今日の日経新聞「Deep Insight」に掲載された、上杉素直・コメンテーター執筆による
『官民ファンド、決裂の必然』というタイトルの記事が勉強になりました。
記事では、民間出身の取締役が経済産業省と対立して全員退任することになった
産業革新投資機構(JIC)のドタバタ劇について、次のようなことが書かれていました。
『今回のJICの騒動が我々に教えてくれたのは、官民ファンドの名前が示すように
官と民が一緒になってファンド業を営む行為の矛盾だったのではないか。
行政はつねに公共のためにあり、税金を元手にしている以上は世論や政治への配慮も欠かせない。
民間とは違う責任を背負っている。
一方の民間はなるべく効率よく、なるべく大きな利益を稼ぐことを求められる。
行政とはスピード感も国際感覚も違う。
官と民はもともと相いれない、水と油めいた面があるということだ。
騒動のきっかけになった幹部の報酬ひとつとってもそうだろう。
成果を上げた人に報いることで、組織の魅力を高める民の発想は尊重されるべきだ。
だが、有名な経営者の逮捕で高額報酬が世間の関心を集めているとき、
行政が神経質になるのも無理はない。経済合理性にかなうかどうか疑わしいが、
国策として生き残らせたい"ゾンビ企業"をめぐって意見が食い違うのも同じ構図だ。
要するに、はなから矛盾を抱えている組織なのだから、
官民の双方がそれなりに譲り合わなければうまくいくはずがない。
それなのにJICの経営陣は投資先の選び方も人材の集め方も民の流儀を徹底し、
経産省は官の理屈を下ろさなかった。決裂は時間の問題であり、必然だったと思う。』
そして、「行政の哲学」と「民間の哲学」の違いについて、
記事では、次のように分かりやすく整理されていました。
「行政の哲学」→ ①つねに公共のために、②政治との関係、③世論への配慮
「民間の哲学」→ ①利益は最大に、②なるべく効率よく、③成果には報いる
私は36年間、地方公共団体に奉職し、
定年退職後は、第三セクターの株式会社に1年間勤務して、
今は、公益財団法人の職員として働いています。
その意味では、「行政の哲学」にどっぷり浸かった後に、
「半官半民の哲学」で仕事をしてきたことになります。
その経験から学んだのは、組織でも個人でも、「哲学」をコペルニクス的に転換するのは、
容易ではないということです。
‥‥こんなことを考えながら、今回の記事を読ませてもった次第です。