しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

行方不明の時間

今日8日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、詩人・茨木のり子さんの

『人間には行方不明の時間が必要です』という言葉で、

いつものように、鷲田清一さんの次のような解説がありました。

『「うたたねにしろ/瞑想(めいそう)にしろ/不埒(ふらち)なことをいたすにしろ」、

 人には「ふっと自分の存在を掻(か)き消す時間」が要ると詩人はいう。

 「日々アリバイを作るいわれもないのに」携帯電話は鳴る。でも出ない。

 むしろ時の隙間をこじ開けて一人「ポワン」としていたい。

 自分を大切に思うのも大事だが、ときに自分に厭(あ)きる、

 自分をチャラにすることも必要だ。詩「行方不明の時間」から。』


う~む、なるほど‥‥。

「ふっと自分の存在を掻(か)き消す時間」、つまり「行方不明の時間」ですか‥‥。

なんとなくその気持ち、分かるような気がします。

かくいう私の場合、定年退職後は、「ふっと自分の存在を掻(か)き消す時間が要る」というよりも、

「自分という存在そのもの」が、周囲からだんだんと忘れ去られつつあるように感じています。


ちなみに、鷲田さんが引用された茨木さんの詩「行方不明の時間」は、次のような内容です。

『人間には行方不明の時間が必要です

 なぜかわからないけれど そんなふうに囁くものがあるのです

 三十分であれ 一時間であれ ボワンと一人 なにものからも離れて

 うたたねにしろ 瞑想にしろ 不埒なことをいたすにしろ

 遠野物語の寒戸の婆のような ながい不明は困るけれど

 ふっと自分の存在を掻き消す時間は必要です  ~ 以下、(略) ~ 』


いろいろな人がいろいろな形で茨木さんの詩を引用・紹介されるとき、

その詩集を改めて読み返している自分が、そこには確かに存在しています。