今日18日の朝日新聞一面コラム「天声人語」と愛媛新聞一面コラム「地軸」は、
それぞれ「彼岸の入り」に関連した内容でした。
書かれていた内容は、当然のことながら違っていたけれど、
どちらのコラムも胸を打つものがありました。
今日の日記では、まず「天声人語」の全文を引用させていただきます。
『「おなかいっぱい食べさせられなくて、ごめんね」。
そんなお詫(わ)びのメモを残して20代の母親が
3歳の息子とともに亡くなるという事件が6年前、大阪市であった。
家に冷蔵庫はなく、残された食べ物は食塩だけだった。
奈良県田原本町の安養寺住職、松島靖朗(せいろう)さん(43)は、この事件に衝撃を受ける。
いまの日本にそんな悲劇があったのか。
寺にあったお供えの菓子類を箱に詰め、大阪市内の子育て支援NPOを訪ねた。
紹介された家庭にお供え物を月ごとに送るようになった。
気づいたのは、世の中から孤立し、困窮している家庭の底知れぬ多さ。
知り合いの住職に「お供え物が余っていたら送ってもらえませんか」と声をかけた。
お寺で余ったお供え物を、貧困に直面したひとり親家庭に届ける仕組みである。
宗派を超えて1100もの寺から賛同を得て、毎月1万人の子どもにおやつが届くようになった。
きょうは彼岸の入り。お盆や年末年始と並び、お寺への供物が増える時期である。
賞味期限が迫り、もてあます品もあると聞く。
「近隣にお裾分けをしたり、果物をジャムにして保存したり。
それでも食べきれないことがあり、もったいない限りです」
お供え、お下がり、お裾分け‥‥。
折々にお寺へ届けられた善意が、人々の手をへて、子どもたちのおなかを満たす。
お供えをした側も本望ではないか。
格差が痛ましいまでに広がる昨今、時代に即した救済の知恵である。』
社会における正義とはなにか‥?
こうしたことを考えさせてくれるコラムに出合えるから、やっぱり私は、