しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「丸物百貨店」の思い出

日経新聞「文化欄」では、今月から、

奥正之三井住友フィナンシャルグループ名誉顧問の「私の履歴書」の連載が続いています。

昨日5日は「京都へ」というタイトルで、冒頭、次のようなことが書かれていました。


『1950年、秋も深まった頃だった。母に連れられ、5歳の私は初めての長旅に出た。

 上田から汽車で篠ノ井、名古屋を経由して、大阪の茨木にある母の実家の礒島家に里帰りするためだ。

 途中、田毎の月で有名な姥捨(うばすて)山を通過した際に、俗にいう「灰縄千束」の民話を聞かせてくれた。

 「僕は母さんを大切にする」。思わず母の手を握りしめた。

 この旅が私の第二の故郷、京都との出会いとなる。

 当時は木造だった国鉄京都駅の大きさと人の多さに圧倒され、路面電車に目を丸くした。

 なにより覚えているのは駅前の丸物百貨店の屋上遊園地だ。

 飛行機を模した回転遊具に乗せてもらい大満足した。 ~(以下、略)~』


この文章のなかに、「丸物百貨店」という活字が出できたので、びっくりしました。

何度もこの日記に書いたことがありますが、小学生の頃、

滋賀県大津市から家族4人で、京阪電車に乗って、「丸物百貨店」によく行きました。

そこは私にとって、日常生活では味わえない夢のような場所でした。

百貨店上層階のレストランでは、私は「オムライス」、5歳年下の弟は「ホットケーキむを決まって注文し、

屋上遊園地では、奥さんも書かれているように、普段は体験することのできない遊具で遊びました。

母が回転遊具に「乗り物酔い」して、

そのあと帰宅するまで体調不良だったことを、今でも鮮明に覚えています。

当時を振り返ると、日本という社会が、そして家族が、日に日に便利で豊かになっていたように思います。


さて、話は変わりますが、私は今年度から、「フルタイム勤務」から」「週4日勤務」となり、

昨日の金曜日がその最初のお休みでした。ところが、この日は職場の歓迎会が設定されていたのです。

結局、いつもどおり仕事着に着替えて、これまたいつものメンバーと顔を合わせるべく、

電車に乗って職場近くの懇親会場に出向いて行った次第です。


支給される給料は今よりさらに減額となり、日々の生活はますます厳しくなりそうですが、

あと2年間、体調管理に気を付けながら、前を向いて仕事に取り組んでいきたいと思っています。

「完全ハッピーリタイア」の生活が送れる日を夢見ながら‥‥。