立夏が過ぎて、本格的な夏の到来を思わせるような天気が続いています。
今年も昨年のような酷暑になるのでしょうか‥‥?
さて、一昨日10日の愛媛新聞に、「世界的人気作家の村上春樹(70)さんが10日発売の月刊誌文藝春秋に、
長年不仲だった父の生涯をたどる手記を寄せた。」と書かれていたので、私もさっそく購入して、
『猫を棄てる~父親について語るときに僕の語ること』というタイトルの手記を読んでみました。
印象に残る記述がたくさんありましたが、そのうちの一つが手記終盤の次の文章でした。
『言い換えれば我々は、広大な大地に向けて降る膨大な数の雨粒の、名もなき一滴にすぎない。
固有ではあるけれど、交換可能な一滴だ。しかしその一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。
一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。
我々はそれを忘れてはならないだろう。
たとえそれがどこかにあっさりと吸い込まれ、個体としての輪郭を失い、
集合的な何かに置き換えられて消えていくのだとしても。いや、むしろこう言うべきなのだろう。
それが集合的な何かに置き換えられていくからこそ、と。』
う~む‥‥。「一滴の雨水の責務」ですか‥‥。強烈なメッセージだと思います。
そして、「記憶と過去を言葉と文章に置き換えていくこと」について書かれた次の記述も、
強く印象に残りました。
『こういう個人的な文章がどれだけ一般読者の関心を惹くものなのか、僕にはわからない。
しかし僕は手を動かして、実際に文章を書くことを通してしかものを考えることのできない人間なので
(抽象的に観念的に思索することが生来不得手なのだ)、こうして記憶を辿り、過去を眺望し、
それを目に見える言葉に、声に出して読める文章に置き換えていく必要がある。
そうした文章を書けば書くほど、それを読み返せば読み返すほど、自分自身が透明になっていくような、
不思議な感覚に襲われることになる。
手を宙にかざしてみると、向こう側が微かに透けて見えるような気がしてくるほどだ。』
言葉と文章の大切さが、この私にも伝わってくるようです‥‥。
手記を読み終えて、村上春樹さんの未読の本を読みたくなり、既読の本を読み返したくなりました。
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