今日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、坂本千明さんの
『八年かけて少しずつ、たぶん私は諦めたのだ。人生の不公平を。いたたまれなさを。』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『イラストレーターの随想「錨(いかり)」(筒井大介編「あの日からの或る日の絵とことば」所収)から。
自分よりしっかり者だったのに震災直前、病で逝った友。被災を免れた青森の両親も、
東京でともに余震に怯えた猫も喪って、足もとの覚束ない日々を送る。
彼らの不在が静かに身に沁み入る中、独りこう思う。
生きている限り「たとえじたばたしてでも錨は自分でおろすしかない」と。』
う~む‥、「錨を自分でおろす」ですか‥‥。
なんとなく、その言葉の重みが、私にも分かるような気がします。
でも、それは決して「諦観」というニュアンスだけでなく、「覚悟」とその先の「何か」を感じさせます。