昨日は岡山に出張でした。いつものように、高速バスで往復6時間の長旅です。
日中の岡山は、こちらと変わらず厳しい暑さでした。
夜10時半頃に帰宅した時はヘロヘロで、この日記を書く体力は残っていませんでした。
そして今日は、朝から父がいつもの排便障害を訴え、妻がかかりつけの病院に連れて行き、
主治医の先生の判断で、そのまま救急病院へ‥‥。1週間ほど検査入院することになりました。
真夏の暑さと同様、私にとって厳しい日が続きます‥‥。
ところで、昨日26日は、松山大空襲から74年という日でした。
一面焼け野原となった松山市街地など、当時の写真が掲載されていたのですが、
私はその写真の中でも、防空壕を掘る松山東雲高等女学校(現松山東雲中学・高校)の女学生の写真が、
強く印象に残りました。(当時の女学生は、私の父と同世代だと思われます。)
というのも、皆さん、手は泥で黒く汚れているものの、何とも言えない柔和な笑顔がありました。
戦争末期の過酷な状況にあってもなお、「国家の勝利」を、いやそうではなく、「希望ある未来」を、
きっと皆さん、固く信じて疑わなかったのだと思います。