NHKテレビテキスト、100分de名著『戦争論~ロジェ・カイヨワ』を読了しました。
「戦争論」は「人間にとって戦争とは何か?」という根源的な問いに対して、
人類学の視点から答えを出そうとした本とのことですが、テキストのなかで特に印象に残ったのは、
「全体戦争」について書かれた次の箇所です。これはカイヨワの論点の胆となる部分だそうです。
『近代の社会では、人間が個々ばらばらに「俺は」「わたしは」という風に存在している。
しかしそのようにしながら、実はまとまった集団を形成しているのです。
そのつながりを何が支えているかというと、基本的には言葉です。
そしてその言葉がどのようにつながりを構成するかという、
それぞれの想像世界を介して人びとは生きている。
そうした言語と想像世界の全体が国家に統合されていくと、
あらゆる人間が「国民」という共通項で結ばれ、国家によって逆に造形されていく、
その統合の力が剥き出しになり、最強の形で現れるのが「全体戦争」なのです。
そこでは戦争は個々の人間の意志を超え、あたかも「聖なるもの」のように、
恐怖と魅惑の中に人間を呑み込んでしまう。』
う~む、なるほど‥‥。そういうものなのですか‥‥。
では、果たして人間は、戦争を避けることはできるのでしょうか?
「戦争論」の「結び」では次のような記述で締めくくられていると、テキストで紹介されていました。
『人間に奉仕するこの巨大な機構(著者注:国家のこと)は、目に見えないいろいろな方法により、
人間に奉仕しながら人間を服従させている。(略)これに対処する方法となると、
これまた微妙なそして限りを知らぬ問題である。
が、それには物事をその基本においてとらえること、すなわち、人間の問題として、
いいかえれば人間の教育から始めることが必要である。
(略)とはいうものの、このような遅々とした歩みにより、
あの急速に進んでいく絶対戦争を追い越さなければならぬかと思うと、
わたくしは恐怖から抜け出すことができないのだ。』
う~む‥‥。限りなく悲観的なお答えだけれど、それ(教育)しかないのも分かるような気がします。
ちなみに、「戦争論」の副題は、「われらの内にひそむ女神ベローナ」で、ベローナとはローマ神話の戦神。
日本でも「軍神」として知られるマルスが勇敢さとか、武勲など、戦争の表を体現しているとするなら、
ベローナはその裏で血や肉が飛び散り、殺し合う戦いの凄惨さを担っている、
つまり、生身の戦いのリアルで残酷な側面、
憎悪や汚辱といった本能的な姿を喚起する神であるとの解説がありました。
人間の内面には、この本能的な姿があることを直視すること‥‥
それが「教育」なのだと私なりに理解しました。
ロジェ・カイヨワ『戦争論』 2019年8月 (NHK100分de名著)
- 作者: 西谷修
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2019/07/25
- メディア: ムック
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