しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

果てしない徒労の努力

今日のNIKKEIプラス1「なやみのとびら」に、30代の男性から

『本を読んでも、ほとんど内容を覚えていないことがあります。読書家といわれる方々の場合、

どの程度記憶に残っているものでしょうか。』という悩み相談が寄せられていました。

この悩みに対して、石田衣良さんが次のように答えられていました。


『‥‥だいたいあなたのメールにはよくない匂いがあります。

 本を読んで、知識をしっかり身につけよう。できることなら、もっと頭をよくしてやろう。

 その手のたちの悪い邪念があると、読書にはあまりよい影響はありません。

 本を読むのは習慣だし、大人なら当然の日課だから、理由など考えるまでもなく、

 とにかく読み続ける。読んだ分はすぐに忘れてしまうけれど、それでも気にせず読み続ける。

 アネベール・カミュの「シューシュポスの神話」ではありませんが、

 読書は果てしない徒労の努力なのです。

 ぼくたちの雑な頭では、すかすかのザルで知の水をすくい続けるようなものです。

 それでも、あら不思議。十年二十年と続けていると、

 こうして新聞で人生相談に答えて小遣いを稼いだり、小説を書いたりできるようになったりもする。

 本当によかった! 

  ~ (中略) ~ 結論はひとつ、なんにも覚えていなくとも、本はひたすら読みましょう。』


う~む、なるほど‥‥。「読書は果てしない徒労の努力」ですか‥。お上手な表現だと思います。

私は、世間の読書家の皆さんのように、たくさんの本を読んでいるわけでもなく、

ましてや、これまで読んだ本の内容は、ほとんど記憶に残っていません。


それでも、今日の石田さんの回答の「すかすかのザルで知の水をすくい続けるようなもの」

という記述を読んで、不思議なことに、ふと

書棚にサミュエル・スマイルズの『自助論』(三笠書房)があったことを思い出し、

その本に貼ってあった付箋のページの『あのニュートンのごとき天才でさえ、

「目の前には手も触れられていない真理の大海が横たわっているが、私はその浜辺で貝殻を

 拾い集めているにすぎない」と語っている。』という記述に、再び目を通すことができました。


この記憶の片隅に残った文章との再会の喜びがあるから、

私はこれからも、毎日少しずつでも、本を読み続けようと思っています。