しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

憧れる力を呼び覚ますもの

別冊NHK100de名著 読書の学校 西研 特別授業『ソクラテスの弁明』を読了しました。


哲学とは何か、哲学とはどういう学問なのかについて、本書のなかで西教授が述べられている箇所を

次のとおり抜き出してみました。


・私はソクラテスの哲学観に共感しています。

 哲学とは、人間の抱く価値についての共通理解を打ち立てることによって、

 自分(たち)を方向づけていく技術であると考えているからです。


・現代を生きる私たちも、まったく異質な考えをもつ人たちと出会ったときにはカルチャーショックを

 受けるでしょう。それまでの考え方や価値観ではどうにもならない状況におかれたとき、

 人は世界や人生について考え始めるのです。そして、それぞれが自分で考え、また他者と語り合って、

 誰もが納得できるような一般性のある考えを育てようとすると、哲学が始まるということになります。


・‥しかしそのさい、人びとが深く納得できるような発信の仕方をすることが、

 哲学する者の責任だと思います。結果的に受け入れなれるかどうか別にして、人びとに通じるーー

 つまり共通理解に達しうるようなーー思考と表現を本気で考えること、

 それが哲学者に求められるものだと考えます。人びとと対立してもよい、孤高でよいのだ、という姿勢は、

 しばしば、真剣に共通理解を求めない「甘さ」を意味するからです。


・私は、「哲学とは、何がよいのか・なぜよいのかを問うことによって、憧れる力を呼び覚ますもの」

 だと考えています。プラトンの中期の作品である「饗宴」や「パイドロス」からも、

 そうした「憧れの哲学」の感触を受け取ることができることも付け加えておきましょう。


う~む、なるほど‥‥。「哲学とは、憧れる力を呼び覚ますもの」ですか‥‥。

哲学の対話は、人に「憧れ」を取り戻させ、元気にさせるものなのですね‥‥。

ところで、書棚にはずっと以前に買った『ソクラテスの弁明・クリトン』(講談社学術文庫)が、

持ち主に読まれることなく眠っています。本書を読んで、少しその敷居が低くなったように思います。


なお、本書の巻末には、「ソクラテスの格言集」が収録されています。

そのなかから、次の二つ格言を、この日記に書き残しておきます。

『正しく知を愛し求める哲学者たちは、死にゆくことを練習しているのであり、

 また、人間の中でとりわけ彼らにとっては、死んでいる状態は少しも恐ろしくないものなのだ。』

『魂が不死であるとしたら、私たちが「生きている」と呼ぶこの時間だけでなく、

 全時間のために配慮が必要であり、もし魂への配慮を怠れば、今、そこに直面する危険は

 恐るべきものになると思われるのだ。』

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)

ソクラテスの弁明・クリトン (講談社学術文庫)