しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

人生を重ね合わせる本

『血族の王~松下幸之助とナショナルの世紀』(岩瀬達哉著:新潮文庫)を読了しました。

日経新聞「半歩遅れの読書術」で、経営学者の楠木建さんが、この本のことを紹介されていたので、

私も購入して読んでみることにしました。


そのお言葉のとおり、実に面白くて勉強になる本でした。

「あとがき」を含め、本書のなかで印象に残ったのは、著者の次のような記述でした。


松下幸之助井植歳男は、互いの事業に邁進するなかで激しく争い、やがて時を経て再び認め合い、

 さらに深く信頼しあうようになった。それぞれが摑んだ成功は、ともに幼き時代、

 満たすことのできなかった家族との情愛の空白を埋めるかのような奔放に彼らを向かわせたが、

 その人生の軌跡は、明治、大正、昭和の資本主義の歩みそのものであるだけでなく、

 日本が経済発展し、繁栄を享受するなかで、〝乱舞した時代〟とどこかで似ているような

 気がしてならない。』


『振り返ってみれば、私は、幸之助翁の薫陶を受けた人々に助けられながら、

 そして翁の生き様を知ることで常に勇気づけられていた。

 苦境に陥ってもなお、一層努力し、誠実に、そしてひたむきに歩むことが、

 なにより力を得るということを教えられたからだった。』


そして、この本の「解説」は、作家の江上剛さんが書かれていました。

これがまた、実に素晴らしい解説でした。それは例えば、次のような記述です。


『運命というべき幸運な題材に出会えた著者は、丹念に幸之助の辿った道を歩く。

 それはまるで幼少期から今日に至るまでの彼自身の人生を辿っているようだ。

 そう言えば岩瀬氏は1955年生まれ。私とほぼ同年齢だ。

 この年代の私たちは幸之助を偉人ではあるが、身近に感じ、

 ナショナル(パナソニックとすべきだが、どうもこの名前はしっくりこない)とともに歩んできたのだ。

 ぐいぐいと引き込まれて本書を読んでしまう理由は、実はそこにある。

 本書は、幸之助を描きながら、私たちの人生を重ね合わせているからだ。』


『本書には井植歳男との骨肉の争い、自分を凌ごうとする部下への残酷な仕打ちなど、

 幸之助の負の面が克明に描かれている。そのどれもが類書では書かれていなかったものばかりだ。

 しかし、こうした負の面を隠すことなく描き切ったからこそ本書は類まれな幸之助の評伝になった。

 そして本書を読んだ人は誰もが、ますます幸之助を尊敬し、愛するようになるだろう。』


私は1955年、昭和30年の生まれです。

著者の岩瀬さんとは同学年、解説の江上さんともほぼ同年齢のようです。

高度成長の恩恵を受けて育った「私たち」は、「ナショナル」とともに生きてきた世代だと、

本書を読んで、そうした思いを強く持ちました。

ですから、江上さんのおっしゃる、「私たちの人生を重ね合わせている」という表現は、

まことにそのとおりだと思いました。


ちなみに、楠木建さんは、さきほどの「半歩遅れの読書術」で、次のように述べられていました。

『「血族の王」を読んだ後で、「道をひらく」を再読する。いよいよ味わい深い。ますます迫力がある。

 「素直さは人を強く正しく聡明(そうめい)にする」――幸之助は自らの矛盾と格闘し、

 念じるような気合を入れて自分の言葉を文章にしたのだと思う。

 彼の言葉は「理想」ではなく、文字通りの「理念」だった。

 だからこそ、「道をひらく」は人々の道標になり得たのである。

 人間ゆえの限界を差し引いても、なお日本最高にして最強の経営者。幸之助への尊敬がつのる。』


「ひたむきに」とか「ひたすらに」という、現代では忘れ去られそうな価値観を、

もう一度しっかりと思い出させてくれる、本書はそんな本でもあります。

血族の王: 松下幸之助とナショナルの世紀 (新潮文庫)

血族の王: 松下幸之助とナショナルの世紀 (新潮文庫)