最近は、まるで「日替わり定食」のように、身体のどこかで不調をきたしています。
今日は、朝から、「くしゃみ」「鼻水」「なみだ目」「のどの痛み」」「頭が重い」といった
アレルギー性鼻炎の症状に苦しんでいます。本当になんとかならないのかしら、この軟弱な身体‥‥。
自分の身体を、思うようにコントロールできないのが、とてももどかしいです。(トホホ)
さて、昨日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、菅原文太さんの
『政治の役割は二つあります。一つは国民を飢えさせないこと。
‥‥もう一つは、これはもっとも大事です、絶対に戦争をしないこと。』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『俳優は山梨県で無農薬の野菜作りにも精を出していたが、出身地・宮城の隣、福島での原発事故の後は、
この社会の行く末を案じて積極的に発言した。亡くなる直前の2014年11月1日には、
沖縄県知事選の応援演説で、あのだみ声で嚙(か)みしめるようにこう語りかけた。
直球の言葉だが、それがびんびん響いてくるこの時代が怖い。』
う~む、なるほど‥‥。
政治の役割は、「国民を飢えさせないこと」と「絶対に戦争をしないこと」ですか‥‥。
確かに、「直球の言葉」だと思います。
そういえば、一昨日の「溜池通信」で、「かんべえ」さんが次のようなことを述べられていました。
『夕刻、奇跡的に時間が空いたので、創発プラットフォームの「オープンフォーラム近現代史研究会」に
顔を出して、筒井清忠教授の「戦前昭和史に何を学ぶか」という講義を拝聴する。
すると愕然としてしまうのだが、戦前昭和史で起きたのはこんなことである。
①普通選挙の導入で有権者の数が一気に増える(といってもたかだか300万人→1200万人だった)、
②新聞というメディアが急速に部数を伸ばし、そこから劇場型政治が始まっていき、
③二大政党(政友会と民政党)の間で分極化が進み、世の中が不安定になっていった
‥‥要はポピュリズム政治の暴走が始まってしまうのだが、行きつく先は日中戦争、
そして対米戦争である。
今の世の中にこれを当てはめると、
①SNSで誰もが自分の意見を発信できる世の中になって、
②それによってネット空間がしょっちゅう「炎上」するようになり、
③政治が極端な意見の下に分裂してしまう、という現状と重なって見えてくる。
共通しているのは「民意」という巨大なエネルギーを制御できなくなって、
誰もが望んでいない結末にまっしぐらに向かっている‥‥ということである。
いやあ、全然洒落になってない。』
こちらも「政治」について、いろいろと考えさせられるご発言です‥‥。