深いため息を幾度となくつきながら、
長い時間をかけて読み終えた『陸軍特別攻撃隊』(高木俊朗著:文藝春秋ライブラリー)全三巻‥‥。
1700ページに及ぶ本書には、たくさんの考えさせられる記述がありましたが、
そのなかで、敢えて3つの記述を選ぶとしたら、私は次の3つを挙げたいと思います。
・軍の命令は、すべて、天皇陛下のご意志である。
命令に体当たり攻撃の文字を使えば、天皇陛下が、それを命ぜられたことになる。
命令にその文字を使わなかったのは、
どこまでも、体当たり攻撃は天皇陛下のご意志ではなかったことにするためである。
これは、体当たり攻撃部隊の編成を計画した大本営の当事者自身が、
体当たり攻撃は非道の方法であって、
天皇陛下が命令されてはならないことだと自覚していたからである。
あくまで、天皇陛下の神聖をおかすのを、恐れなければならなかった。
もう一つには、体当たり攻撃は命令ではなくて、
各自の自発意思にもとづいた行動にしておきたかった。
そうすれば、特攻隊員は、国難のために一命を捨ててかえりみない義烈の士とすることができる。
また、それは、壮烈な愛国美談となって、今や崩れかけてきた国民の戦意を、刺激し、
たかめることができる。特攻隊については、このように計算されていたようである。
そして、このことはまた、体当たり攻撃を計画した者や、航空軍、飛行師団の指揮官、幕僚などが、
責任のいいのがれをする口実ともなり得るのだ。
・日本の軍刑法に、作戦失敗の罰則がなかったのは重大な欠陥であった。
その原因の一つには、天皇が統帥権により、兵馬の権を軍人にまかせながら、
その責任を問うことがなかったためである。
また、作戦に失敗しても、みずから責任をとろうとする者が稀であった。
軍が敗戦の責任ということに、厳正な意識を欠くようになったのは、
このようなところにも原因があったろう。
無条件降伏のあとで、自決した将官、高級指導官の数はすくない。
多くの将軍、軍司令官が、自決をしないで戦後に生きながらえたのは、
それは、天皇が国家再興のためにつくせとの意味の文字があったからだという。
軍の首脳者は戦争中は天皇を利用し、戦後は天皇のご意志に沿うためと称して、生き残った。
・われわれだけでなく、次代の若い人たちが、昭和の戦争の時代を忘れてはならないと思う。
日本の歴史に、これほど不幸な時代は稀であった。
その実態を基本として政治や社会を見る限り、人間の矛盾も、人間の幸福も見失うことがないだろう。
私がこの著作を書き終えた日、昭和49年5月26日の朝日新聞の短歌欄には、次の一首があって、
深い感慨と共感をそそられた。作者は佐世保、長崎田鶴子としてあった。
「それぞれの戦いし意味つきつめず 来(こ)し戦後なり今に問わるる」
以前も書いたと思いますが、この本は、「NIKKEI the STYLE」の「名作コンシェルジュ」で、
ノンフィクション作家の稲泉連さんが、「日本の戦記ノンフィクションの金字塔と言える一冊」だと
紹介されていました。そのお言葉に間違いがないことを、全三巻を読み終えて、そう思いました。
「なぜ、彼らは死ななければならなかったのか‥‥」。
これは、次の世代、また次の世代にも、語り継がれるべき「問い掛け」だと思います。