今日8日の朝日新聞一面コラム「折々のことば」は、
兼好法師の『財多ければ、身を守るに惑ふ』という言葉で、
いつものように鷲田清一さんの、次のような解説がありました。
『財が多いとそれに囚(とら)われ、身を保つのが難しくなると、法師は言う。
財産の多寡が人生の幸不幸を決すると思い込むと、財が目減りしだすだけでひどく不安になる。
人の評判ばかり気にしていると、何がほんとうに大事なものかも見えなくなる。
財に恵まれない人のほうがかえって隣人に気前がいいのは、日頃よく目にすること。
「新版 徒然草」(小川剛生(たけお)訳注)第三八段から。』
う~む、なるほど‥‥。
その一方で、一昨日の日経新聞電子版ニューズレター「Beyond Markets」では、
「定点観測のすすめ」と題して、次のようなことが書かれていました。
『老後生活が不安になり、資産運用に関心を持つようになると、どうすればお金が増えるかを考える。
もうけ話を小耳に挟んだら、つい手を出してみたくなる。
だが「ラクしてお金がたまる方法」なんて本を読んでも、もうかる人はおそらくいない。
やはり資産運用には学習が必要だ。
だからこそ欧米では義務教育段階からマネー教育を取り入れ、半ば強制的に学ぶことを求められる。
ところが日本では「金もうけは卑しい」といった価値観や文化のせいか、
マネー教育が積極的に実施されなかった。つまり大人になって学ぶしかないわけだ。
そしてマーケットを知るうえで、まず必要なのは相場観を養うことだ。
株高のニュースを見て株を買ったが、遅きに失したというのはよくある話。
市場の一歩先を読んで資産を運用していくには、やはり相場観が成否のカギを握る。
そのうえで金融商品やお金に関する税制や社会保障などの知識を学んでいく。
残念ながら、マネー教育は一晩で身につくようなものではない。』
はぃ‥‥、私はというと、「財産の多寡が人生の幸不幸を決する」とは思わないけれど、
今の貯蓄では心もとなく、将来の老後生活が不安なことも事実で、
資産運用の必要性も十分理解できます。
結論としては、「身を守るに惑う」ほど「財に恵まれる人生」は、私には「夢のまた夢」でした。