しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

化粧という行為の奥深さ

昨日に続いて、朝日新聞一面コラム「折々のことば」の感想です‥‥。

今日の「折々のことば」は、演劇家で歌人寺山修司さんの

「一言でいってしまえば、私は化粧する女が好きです。

そこには、虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギーが感じられます。」という言葉で、

鷲田清一さんの、次のような解説がありました。


『化粧は自己陶酔でも小市民的な贅沢(ぜいたく)でもなく、むしろ「ゲーム」であって、

 人生を支える力が想像力にあることの証(あかし)だと、演劇家・歌人は言う。

 そして「たかが人生じゃないの」というほどの余裕すらときに感じると。

 くわえて私は、会った相手のまなざしをデコレートしてあげる行為だという考え方も好きだけれど。

 「青女(せいじょ)論」から。』


今日も、私には考えも及ばないような言葉のオンパレードです。

化粧は、「虚構によって現実を乗り切ろうとするエネルギー」とか「ゲーム」とか‥。

さらに、「たかが人生じゃないの」とか「会った相手のまなざしをデコレートしてあげる行為」とか‥。


「デコレート」という言葉をネットで調べてみると、

「何かに物事を付け足すことによって、より素敵に見えるようにすること」、

動詞で「飾る、装飾する」という解説がありました。

ということは、化粧は「化粧をしている女性をみる異性の、まなざしを素敵にしてあげる行為」

という、つたない理解でよろしいのでしょうか‥‥?

「化粧という行為の奥深さ」を改めて認識しました。化粧は人生そのものなのですね‥‥。


そういえば、愛読書の『寺山修司少女詩集』(角川文庫)に、

『美しい女には、どこかわざとらしさが必要である。

 化粧、饒舌、技巧、仮面‥‥そして、そのかげにひそむ、はっとするほどの無垢の心。

 遊びのきらいな女に、美しい女はいない。

 詩を解さない女、ベッドのきらいな女にも、美しい女は、いない。

 「美しい女とは、美しい女になろうとする女のことである」』という名言がありました。

ご参考までに‥‥。

寺山修司少女詩集 (角川文庫)

寺山修司少女詩集 (角川文庫)