昨日15日の愛媛新聞「文化」欄の「標点」に、
田中実・都留文科大名誉教授の、村上春樹さんの手記に対する論考が、
中国の権威ある外国文学研究所の機関紙「世界文学」に掲載されることが書かれていました。
村上さんの「手記」とは、月刊誌「文藝春秋」昨年6月号に掲載された「猫を捨てる」で、
中国戦線にいた父親の体験などが詳述されていて、中国でも大きな話題となったそうです。
記事には、次のようなことが書かれていました。
忘れてはならない、大切なことが書かれていると思うので、この日記に書き残しておきます。
・田中さんの論考は、村上作品に通底する思想を手記から解読する。
着目するのは、「いちばん語りたかった」のは
「(自分は)ひとりの平凡な息子に過ぎないという事実だ」とする終盤のくだり。
そんな自分は「一滴の雨水」「集合的な何かに置き換えられて消えていく」存在だ、とある。
・「自分が存在することがいかに偶然にすぎないかを語っている。
大事なのは〝だからこそ〟歴史を受け継ぐ責務がある、と続く点です。
よく考えると不思議ではないですか?
一滴の雨水にすぎないなら、むしろそんな責務はないはずでは?」
・その謎は2009年、エルサレム賞受賞時の講演にも通じると指摘する。
「どれほど壁(システム)が正しく、卵(個人)が間違っていたとしても、
自分はタマゴの側に立つ、と彼は言う」。
田中さんは「間違っていたとしても」の部分に村上さんの思想の本質をみる。
・「正しいか間違いかの価値基準は、実は人がそれぞれの立場で考えたことにすぎない。
その価値を絶対化しすぎたとき、神と神の対立、宗教戦争も起きる」。
村上さんが語る「システム」とは、例えば国、宗教など、
人を特定の価値の内側に閉じ込めようとする枠組みを意味すると話す。
・「私たち人間は、何らかのシステムの中でしか生きられない。
それこそ、言語だってシステムです。」
それでもなお、あらゆる属性やイデオロギーといった価値を疑ってみる。
そして、その結果起きる悲劇を克服しようとする。
それは「一滴の雨水の責務」を実感するところから始まる‥。
それが田中さんが読み取ったメッセージだ。
う~む‥‥。「一滴の雨水の責務」には、村上さんの「思想の本質」があったのですね‥‥。
この記事を読んでから、改めて村上さんの手記を読み直すと、次の一節が重く心に響きます。
『‥‥一滴の雨水には、一滴の雨水なりの思いがある。
一滴の雨水の歴史があり、それを受け継いでいくという一滴の雨水の責務がある。
我々はそれを忘れてはならないだろう。』
「文藝春秋」の2019年6月特別号は、ますます処分するのが困難な一冊となりました。