しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「公益性と補償」を考える

今日の日経新聞文化欄に掲載された、社会学者・橋爪大三郎さん執筆による

「疫病の文明論(3) 緊急時の社会学」というタイトルの、次のような論評を読んで、

「公益性と補償」という難しい問題について、いろいろと考えるところがありました。


パンデミックは緊急事態。でも地震や戦争とは違う。

 電気・水道・ガス・電話などライフラインは無傷だ。住居も物流も確保できている。

 戦いは家にじっとしているだけでよい。企業や学校が休みでもひたすら我慢だ。

 接触を8割減らしましょう。ライフラインは動かすので、ほかは9割減以上でないと8割にならない。

 でも働かないと、生計が立たない。そこで所得を補償して家にいてもらう。

 政府の措置でうまれた損失だからだ。補償は、景気対策でも経済の話でもない。

 公益のため払ったコストへの埋め戻しにすぎない。そして補償はすぐ払うべきだ。

 ただ財源を、税金で集めている暇がない。ならば赤字国債でまかなおう。巨額でも仕方ない。

 それで生活でき、企業が破産しなければ、将来の回復への道筋がつく。

 こんなことは経済学の教科書のどこにも書いてない。

 でも欧米各国は、こうした政策を素早く打ち出した。わかりやすく市民に説明もした。

 パンデミックにどう対応し、措置を取るのか、日頃から研究ずみだった。

 補償は正しいのか。戦争被害は補償しない。自然災害も補償しない。古代からの慣習法だ。

 だが外出制限は政府が決定したから政府の責任だ。公益のために憲法上の権利を制限し、損害もある。

 補償するのが正しい。政府には感染症や経済の専門家がついている。

 でも専門家は専門しかわからない。政府は感染と経済を両方踏まえつつ、公益を守る。

 日頃の哲学の素養がものを言う。

 財政規律が大事で赤字国債はよくない。平時の原則である。緊急時は別だ。

 市民と企業が生き延びなければ明日はない。外出制限は厳格なほど短くてすむ。補償もする。

 経済の話はその後だ。』


う~む‥‥。私には、今回のような緊急時において、何が正しい選択肢なのか、さっぱり分かりません。

でも、「市民と企業が生き延びなければ明日はない」というのは、至極当然のご指摘だと思います。

そうであるならば、選択肢は、「融資」、「協力金」、「助成金」、「給付金」、「補償金」‥‥。

これも「自粛」の解釈による違いなのでしょうか?

そして、橋爪さんが言われる「日頃の哲学の素養」って、どう理解したらいいのでしょう?

頭が混乱するばかりです‥‥。