自宅近くの「西の海岸」では、時として、言葉を失うほどの美しい夕陽を見ることができます。
その夕陽に関連して、今日の日経新聞一面コラム「春秋」には、次のようなことが書かれていました。
『明治時代、日本の民話などを世界に紹介したギリシャ生まれの文筆家、
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、
夕焼けをことのほか愛したようだ。妻の節子が夫との日常を「思い出の記」に残している。
東京・西大久保の自宅では書斎を西向きにしたほどだったという。
手記によると、空があかね色に染まるのを見つけ、八雲はよく妻や子らを大声で呼んだ。
いつも急いで駆けつけるが「一分後れました、夕焼け少し駄目となりました。なんぼ気の毒」
と残念がったらしい。 和気あいあいとした家族の一場面である。
秋が深まって空気が澄み、沈む赤々とした日が美しく映える季節となった。
各地に日没の眺めがすばらしい場所はあろうが、東京近郊の光景も作家にめでられている。
国木田独歩は「富士の中腹に群がる雲は黄金色に染まって‥‥」と記した。
太宰治は「毎日、武蔵野の夕陽は、大きい。ぶるぶる煮えたぎって落ちている」と書いている。
自然の壮大な演出に癒やされているように感じたのだろう。
八雲は入り日を見つつ、妻子らと「夕焼け小焼け、明日、天気になーれ」と歌ったという。
空模様に加え、家族の息災も祈ったにちがいない。
コロナ禍の中、冬が近づく。感染や医療体制への不安は消えず、一刻も早い収束を願わない人はいまい。
そんな希望も映し夕焼けが空を彩ってくれたら。ひととき励ましとなろう。』
へぇ~‥、昔は、東京・西大久保からも「夕焼け」が美しく見えたのですね‥‥。
振り返れば、大学生時代、西大久保近くの西早稲田に住んでいた頃、
地平線に沈む「夕陽」を見ることは、当然のことながらできませんでしたが、
都心特有の「夕焼け」の美しさは、確かにあったような記憶があります。
「夕陽」「夕焼け」とは真逆の「朝日」「朝焼け」も、きっと同じくらい神々しいのだと思うけれど、
あいにくその時間帯は、平日は出勤準備で忙しく、休日はまだ寝床の中なので、
元旦の「初日の出」を除いて、その美しさに感動することは、残念ながらほとんどありません‥‥。
話は変わりますが、今日は冷たい雨が降り続き、冬が一気に訪れたような寒い一日となりました。
苦手な季節の到来に、思わず身構えてしまう自分がいます‥‥。
また、その一方、冬の訪れは、チューリップの名曲「サボテンの花」を思い起こす季節でもあります。
♬ この長い冬が終わるまでに 何かをみつけて生きよう
何かを信じて生きていこう この冬が終わるまでに