しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

知はあなたを見放さない

今日はダウンジャケットの洗濯をしました。

ダウン専用の洗剤で自宅で洗濯した後、乾燥は近くのコインランドリーで行うことにしました。

乾燥には1時間程度要するので、近くの町立図書館で時間を有効活用することに‥‥。


町立図書館で雑誌「文藝春秋」の4月号に目を通していると、

「巻頭随筆」に、あの読書猿さんが、「独学という希望」というエッセイを寄稿されていました。


『‥‥私たちが暮らすのは、残念ながら、知識やそれに関わる知的??に敬意を払う社会ではない。

 学びたいという人を邪魔立てし、知識を持つ人を嘲笑し、記録を蔑み、資料を捨て、書物を燃やし、

 ただ知りたいと願った人たちから、学ぶための機会や資源を繰り返し奪ってきた。

 こうして多くの人が学ぶことを諦め、多くの知識が永遠に失われた。

 にもかかわらず、私達は今なお、いくらかの知識を、そして知りたいという気持ちを、確かに持っている。

 人は自分の無知と無力に苦しんでもなお、だからこそ知ることを、学ぶことをやめられない。

 これが、沢山の知識が失われてもなお、知識が受け継がれ我々のところまで届いている理由、

 そして独学という周囲から祝福されることの少ない企てが、この世界から無くならない理由なのだろう。

 どれだけ学ぶための機会や資源が限られていても、最後に独学という希望が残っている。

 独学があるから、「あなたがあきらめないかぎり、知はあなたを見放さない」と言い切れる。』


この文章中「??」は、自分でメモ帳に走り書きした内容が、自分で判読できなかったものです‥‥。(苦笑)

そういえば、せっかく購入した読書猿さん執筆の「独学全書」(ダイアモンド社)は、

この数か月間、ほぼ積読状態になっていました。


「あなたがあきらめないかぎり、知はあなたを見放さない」‥‥。

「知」から見放されないためにも、これからも「知的探求心」を失わずに、

リタイア後の日々を過ごしていきたいと思っています。なにせ、真理の世界は無尽蔵ですから‥‥。

懸案を処理して一安心です

今月15日の期限を前にして、今日ようやく、平成2年分所得税の確定申告を「eーTax」で済ませました。

一国民としての義務を果たせて、一安心しているところです。


しかも、今回は、5年前にマイナンバーカードを利用して確定申告をして以来、

初めて、納付するのではなく、還付を受けることになりました。その額、515円‥‥。(苦笑)

私は前立腺肥大、妻はリウマチの持病があるほか、歯の定期検診などもあり、

多額となった医療費の「控除の恩恵」が大きかったのではないかと想像しています‥‥。


福沢諭吉の「国を支えて、国を頼らず」という思想を持ち続けていたいけど、

これからは公的年金だけで生活を維持していかなければなりません。

そして、日本の公的年金は、「積立方式」ではなく「賦課方式」‥‥。

必然的に、現役世代の皆さんの支えで、これからの余生を、夫婦で歩んでいくことになります。


「自助の精神」を忘れることなく、何よりも健康に留意した日々を送っていきたいと思っています。

敵を知らず、己を知らず、大敵を侮る

長い日数をかけて、ようやく『ノモンハンの夏』(半藤一利著:文春文庫)を読了しました。

本書の中では、著者が「あとがき」で書かれていた、次の記述が強く印象に残りました。


『‥‥それにしても、日本陸軍の事件への対応は愚劣かつ無責任というほかない。

 手前本位でいい調子になっている組織がいかに壊滅していくかの、よき教本である。

 とはいえ、歴史を記述するものの心得として、原稿用紙を一字一字埋めながら、

 東京と新京の秀才作戦参謀を罵倒し嘲笑し、

 そこに生まれる離隔感でおのれをよしとすることのないように気をつけたつもりである。

 しかしときに怒りが鉛筆のさきにこもるのを如何ともしがたった。

 それほどにこの戦闘が作戦指導上で無謀、独善そして泥縄的でありすぎたからである。

 勇敢力闘して死んだ人びとが浮かばれないと思えてならなかった。‥‥』


この本を読み終えた後、改めて『失敗の本質~日本軍の組織論的研究』(中公文庫)の

ノモンハン事件~失敗の序曲」を読み直してみると、次のようなことが書かれていました。


ノモンハン事件は日本軍に近代戦の実態を余すところなく示したが、

 大兵力、大火力、大物量主義をとる敵に対して、日本軍はなすすべを知らず、

 敵情不明のまま用兵規模の測定を誤り、いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤りを繰り返した。

 情報機関の欠陥と過度の精神主義により、敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていたのである。

 また統帥上も中央と現地の意思疎通が円滑を欠き、

 意見が対立すると、つねに積極策を主張する幕僚が向こう意気荒く慎重論を押し切り、

 上司もこれを許したことが失敗の大きな原因であった。』


う~む‥‥。(絶句)

「いたずらに後手に回って兵力逐次使用の誤りを繰り返した」とか、

「敵を知らず、己を知らず、大敵を侮っていた」とか、

「統帥上も中央と現地の意思疎通が円滑を欠いた」とか、

これってまるで、新型コロナウイルスという「大敵」に対しての、

今の政府や地方自治体、そして私たち国民の、「対応の不手際」を指摘しているかのようです‥‥。


同じ「失敗」を繰り返さないよう、心したいと思います‥‥。

ノモンハンの夏 (文春文庫)

ノモンハンの夏 (文春文庫)

名優は去り、また映える

今日の愛媛新聞一面コラム「地軸」と日経新聞一面コラム「春秋」には、

それぞれ田中邦衛さんを追悼するコラムが掲載されていました。

この日記には、「春秋」の全文を書き残しておこうと思います。


『白黒テレビの画面に映っていたドラマ「若者たち」は、子供心にも重く響く番組だった。

 両親を亡くした5人きょうだいが、世の中の矛盾と格闘しながら生きていく。

 激しい議論と、取っ組み合いのケンカ。長男の太郎はちゃぶ台をひっくり返し、妹は泣き崩れる‥‥。

 近年になって、全34話をあらためて鑑賞してみた。1966年の放送だが、話はちっとも古びていない。

 家族とは何か、学びの意味、格差と差別、愛情と打算‥‥。

 こういう真っ正面からのテーマを背負って熱演したのが、太郎役の田中邦衛さんだった。

 物語には高度成長期の光と影が交錯し、いまに伝わる名作となった。

 同じ時期に田中さんは「若大将」シリーズで「青大将」を演じ、ファン層を広げている。

 キザで間抜けなドラ息子だ。

 やがて「仁義なき戦い」では、殴り込みのときに姑息(こそく)な言い訳をして逃げるヤクザを演じた。

 どんな役にもなりきれるプロだが、共通するのは、

 不格好な人間というものをしみじみ感じさせる所作だろう。

 その人が88歳で旅立った。「人生はアップで見ると悲劇だが、ロングで見れば喜劇だ」。

 ドラマ「北の国から」の脚本を書いた倉本聰さんは、

 チャップリンの言葉を念頭に黒板五郎役を充てたという。

 思えば半世紀前の「若者たち」の太郎もなんと深刻で、なんとおかしかったことか。

 名優は去り、また映えるに違いない。』


う~む、なるほど‥。「人生はアップで見ると悲劇だが、ロングで見れば喜劇だ」ですか‥‥。

このチャップリンの名言を引用できて、

コラムの最後に、「名優は去り、また映えるに違いない。」という

故人を心から追悼する文章を書くことのできる、

コラムニスト氏の人となりとその才能に、

「不格好な人間」を自覚している私は、敬意の気持ちを表したいと思います。

「60年代」は遠く‥‥

報道によると、個性派俳優の田中邦衛さんが、

先月24日に、老衰のため88歳でお亡くなりになったそうです。


私にとっての田中邦衛さんは、何といっても映画「若大将シリーズ」の青大将・石山新次郎です‥‥。

星由里子さん演じる澄子をめぐって、加山雄三さん演じる若大将・田沼雄一と

いつも恋争いになるというパターンで、田中さんは「憎めない三枚目役」を演じられていました。

小学生の頃、この「若大将シリーズ」が上映される日を、毎回、心待ちにしていました。

今、走馬灯のように駆け巡る、映画の一コマ一コマ‥‥、たくさんの名場面をありがとうございました。


澄子役の星由里子さん、そして青大将役の田中邦衛さん‥‥。

私にとって、夢と希望に満ちていた「60年代」が、また一つ遠くなっていくようで、とっても寂しいです‥。