しんちゃんの老いじたく日記

昭和30年生まれ。愛媛県伊予郡松前町出身の元地方公務員です。

「名もなき家事」がメイン?

最近、夕食を食べてから寝るまでの間に、

アマゾンの「Prime Video」で映画を観賞するのが習慣になりつつあります。

ちなみに、どんな映画を観たかというと、新しい順に、

イミテーション・ゲーム」、「トロイ」、「ローズの秘密の頁」、「裏切りのサーカス」、

「人生の特等席」、「リンカーン弁護士」、「ライ麦畑の反逆児」‥‥。


いずれも、「甲」「乙」がつけ難い映画でした。

「読書」に「ウォーキング」に「映画鑑賞」、そして「料理」や「日記」‥‥。

これらに「自己啓発」も加えて、有意義な老後を過ごせるように頑張りたいと思います。


ちなみに、私が一日の中で最も時間を割いているのは、「名もなき家事」の数々‥‥。

これが厳しい「現実の姿」です。

「死者との別れの儀式」を考える

昨日の愛媛新聞「現論」に、ノンフィクション作家の保阪正康さんが、

『コロナ禍と葬儀~儀式変容 私流の別れを』というタイトルの論評を寄稿されていました。

論評の冒頭で、保阪さんは、次のようなことを述べられていました。


『私自身の老いの故もあるのだろうが、このところ友人、知人、

 さらに仕事上の畏友などの死にしばしば出合う。

 電話で、メールで、時にはご遺族からの書簡で知らされる。

 この1年半近く、通夜、葬儀に出たことはない。

 新型コロナウイルスのせいもあるのだが、密の状態を避けるために

 葬儀一切はわずかの身内で行うことが定着した。

 死者との別れの儀式は、現代社会から見事に消えていったというのが現実である。‥‥』


はい‥、私も、一昨年の10月に、母方の伯母の通夜・葬儀に参列して以来、

そうした「死者との別れの儀式」に出席することがなくなりました。

昨年の8月には、大阪在住の母方の伯父が亡くなりましたが、

ちょうどその頃は、新型コロナウイルス感染拡大の第二波と騒がれていた時期でもあり、

伯父の逝去を知ったのは、従弟から届いた一通の封書で、

そこには、家族で一連の儀式を執り行ったことが書かれていました。


子供の頃から、伯父にはとても可愛がってもらったので、

最後のお別れをしたかったのですが、それが叶わず、今でも残念に思っています。

‥‥というか、今でも自分なりのケジメがついていないような気がするのです。


なお、さきほどの論評で保阪さんは、次のようなことも述べられていました。

『‥‥別れの儀式を私流に行うことで、故人との別れに心の整理をした。

 通夜でも告別式でもない。あえて言えば、今生では会えないが、私もいずれそちらにいく年齢です。

 また談論風発しましょうとの呼びかけである。心が落ち着いてくる。

 この落ち着きだけで、死者との回路が確認できるような気がするのである。』


う~む、なるほど‥‥。「死者との回路の確認」ですか‥‥。

そう言われても、なかなか難しい「儀式」のような気もします。

今回の論評を読んで改めて感じたのは、通夜や告別式という「死者との別れの儀式」は、

「死者との別れ」だけでなく、「残された生者間の絆」を再確認する「場」として、

「実は、とても大切な役割を果たしていたのではないか」、ということでした。

「虹色に輝く輪」を見る

今日、何気なく空を見上げると、太陽の周りに、虹色の輪が美しく輝いているのが見えました。

それは、コンパスで円を描いたような、見事な「まん丸」でした。

65年間も生きてきましたが、このような自然現象を、これまで見た記憶がありません。


ネットで調べると、どうやらこれは「日輪」「日暈(ひがさ)」という自然現象のようです。

『「良いことが起こるお知らせ」との昔からの言い伝えもある』との神話的な(?)解説がある一方で、

『低気圧接近時などに見られることが多く、これが見られたあと、

雲が厚みを増してきたら「天気下り坂のサイン」』との現実的な解説もありました。


そういわれてみると、お昼過ぎからは、だんたんと雲が勢力を増してきました。

ただ、私的には、「良いことが起こるお知らせ」に、大いに期待を寄せたいと思います。

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この日記を書いた後、愛媛新聞ONLINEにも、次のような記事が掲載されたので、

次のとおり書き残しておこうと思います。

『太陽の周りに光の輪ができる現象「日暈(ひがさ)」が17日正午ごろ、

 愛媛県松山市などの空に見られた。

 松山地方気象台や民間気象会社「ウェザーニューズ」(千葉市)によると、

 日暈は「ハロ」とも呼ばれ、上空の薄雲を構成する氷の粒で太陽の光が屈折して現れる。

 17日は四国以外に九州や中国地方でも確認されたという。

 ウェザーニューズは「珍しい現象ではないが、

 出現後に雲が厚くなった場合は天気が下り坂のサイン」としている。

 気象台によると、18日は雲が広がり昼すぎから雨が降りやすくなる見込み。』

遠く過ぎ去る「ともに心を躍らせた世」

作曲家の小林亜星さんが88歳でお亡くなりになったことを受けて、

今日の日経新聞一面コラム「春秋」と愛媛新聞一面コラム「地軸」には、

それぞれ追悼のコラムが掲載されていました。

「春秋」はその全文を、「地軸」はその後半部分を、次のとおり引用させていただきます。


『腹巻きに印ばんてん、首から成田山のお守りをぶら下げた短髪の巨体が、突然キレて暴れ出す。

 戦前の陸軍大将と海軍大将から姓名をとったというテレビドラマ「寺内貫太郎一家」は

 役者としての小林亜星さんをお茶の間に強烈に印象づけた。1974年の放送である。

 訃報を機に生涯を振り返れば、実は、この時「祖業」の音楽では、すでに第一人者だった。

 日立グループの「この木なんの木」や、日本生命のCMソングの作曲を手がけ、

 長く歌い継がれたのはご存じの通り。

 「魔法使いサリー」などアニメの主題歌や大ヒットした演歌「北の宿から」など

 6千を超える作品を世に送った。

 自ら「焼け跡世代」と称している。

 マルチな才人の原点は「みんなをハッピーにしたい」との願いにあったのかもしれない。

 旋律はどれも親しみやすく、気づけば口ずさんでいるといった感じである。

 だが、家族や友人が同じ画面や歌にともに心を躍らせた世は過ぎ去った。

 小林さんも潮流の変化を感じとっていたらしい。

 2年前のあるインタビューでこんなふうに言っていた。

 「流行を作り出すのが音楽に携わる人の使命だったと思うんです。

 でも大衆はそれを望んでいないんだなと」。

 ちゃぶ台の前で少し肩を落とす貫太郎を見るようだが、すぐ続けている。

 「それができる人がいたら次世代を担う作曲家です」。バトンは誰が継ぐだろう。』


『‥‥作曲のこつは難しく考えすぎないことらしい。

 風呂やハイキング中、「自然に今まで聞いたこともない鼻歌を歌っていることがあるでしょう。

 それが作曲ということなんですよ」(「作曲のしかた」)。

 人まねではなく、個性を磨いた曲作りを後進にも求めた。

 誰もが口ずさめる流行歌が減っていることを憂いていたという。

 メロディーメーカーの自負を宿した名曲の数々、聞き直してみたい。』


はぃ、そうですね‥‥。それぞれのコラムに書かれている「気づけば口ずさんでいる」歌や、

「誰もが口ずさめる流行歌」は、もうこれからは現れることはないのでしょうか?

「家族や友人が同じ画面や歌にともに心を躍らせた世は過ぎ去った」という「春秋」の記述には、

昭和という時代の、楽しかった家庭団らんのひと時を思い出し、目頭が熱くなりました。


そういえば、「寺内貫太郎一家」に出演された、加藤治子さん、樹木希林さん、西城秀樹さん、

そして、脚本家の向田邦子さん、プロデューサーの久世光彦さんは、もうこの世には存在しません。

私にとっての「ともに心を躍らせた世」は、当時の歌や人とともに、遠く過ぎ去っていきます。

たくさんの思い出も一緒にして‥‥。

「本の価値」を考える

NHKテレビテキスト、100分de名著『華氏451度~レイ・ブラッドベリ』は、

今月4日に読み終えて、その感想文をこの日記に書いたところですが、

昨日、NHKEテレで放映された『第3回 自発的に隷属するひとびと』を視聴してみると、

「本の価値」についての印象深いトークがあり、改めてテキストを読み直してみました。


主人公モンターグの4人目の教師である、密かに本を愛し続けるフェイバー教授によと、それは次の3つ。

 ①情報の本質

 ②それを消化するための時間・余暇

 ⓷それらを学んで行動を起こすための正当な理由


テキストには、「これら①②⓷のすべてがそろって初めて、本には価値が生じるのだ」と書いてありました。

大事なのは「本の内容」と「考えること」と「その二つを活かして行動を起こすこと」‥‥。

私には、本を読んでも、最後の「行動を起こすこと」が伴っていないことを、

改めて自覚し、と同時に深く反省をした次第です‥‥。


やはり、「100分de名著」は、「テキストを読み」、そして「番組を視聴する」、

この二つの行為を実践することによって、より高い相乗効果がもたらされるのですね‥‥。